4、お別れしよう

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 進学の時、取り寄せたパンフレットには絵に関係する学校もあった。といっても興味本位で、見学会にも行かなければ、進学先の選択肢にすら入っていなかったのだが。  だったらどうして、取り寄せたのだろう。この未練はどこから来るものなのだろう。 (ひょっとして、怖いんだろうか)  力を尽くして、それが徒労に終わることに怯えているのか。誰かに才能を否定されるのが耐えられないのか。  ――わからない。  自分の心をいくら解剖しようと試みても、上手くいかなかった。  そしてもやもやを抱えたまま大人になったある日。  絵本の自費出版の広告を見て、突然思い立った。一度絵本を描いてみるのもいいかもしれない。  ほとんど発作的にそう思って、実行に移した。社会人になってからのボーナスを使い込んでいない分があった。  それをはたいて、絵本を出版した。  タイトルは、「のんびりひよこのだいぼうけん」。一匹のひよこがちょっとした冒険をする、他愛ない話だ。  当然といえば当然だが、笑えるくらい売れなかった。  そもそも自費出版で書店に流通させるというのは簡単な話ではない。取次会社を通して書店に置かれる委託販売というのもオプションで選べるが、そうなると安くはないし注文部数も多くしなければならなかった。結局売れなくて返本、なんてことになっても困るしそもそも資金は潤沢ではない。  千佳が選んだのはリスクが低めのネット書店での販売で、かろうじて知人の個人書店には頼んで並べてもらえた。  自費出版の絵本など、余程のことがない限り売れるわけがない。  千佳もそれを承知で踏み切ったのだ。買ってくれたのはせいぜい、親戚や友人。  そこで、千佳は自分の心が空っぽになったのに気がついた。  絵本を出して、私、結局何をしたかったんだっけ。  大金をはたいて得たものは疑問だけだった。そして、ある種の虚しさ。  売れなくたって、悔しさも感じなかった。そりゃ、そうですよね。そんな諦観。わかりきった結果。  千佳は一つの結論にたどり着く。 「私は、絵に大して真摯な気持ちになれなかった」  中途半端なくせに、ずっと煮え切らない何かを抱えて、それと向き合おうともしていない。  そんな自分が嫌になった。以来、一度も筆をとっていない。  誰かが描いた絵を見る時、古傷が痛むような感覚がある。それが上手ければ、尚更だった。  私はこれほどまでになれなかったし、努力もしなかった。どうして絵を描いてきたんだろう? 真剣にもなれず、気軽に割り切ることもできず。  こんな思いをするくらいなら、絵なんて描かなきゃよかったのに。  白崎の鳥の絵はまさに圧巻だった。プロなので当たり前かもしれないが、格が違った。  思い出すのは「のんびりひよこのだいぼうけん」。あの、自分の手によるひよこと、白崎の鳥との対比。  私のひよこは育っても、ああやって羽ばたく鳥にはなれはしない。  これ以上苦しい思いをしたくない。  だから、絵には近づかない方がいい。  私はもう、絵なんて二度と描かないんだし。  白崎純とは、悲しいけれどお別れした方が良さそうだった。
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