3、人生で大切なこと

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3、人生で大切なこと

* * *  そのヤバい男のことは忘れなさい。  奈々に言われた時、「そうだよなあ」と千佳も納得していたのだ。  シロサキジュンが何者であろうが、危ない人である可能性が高すぎる。不審人物とは関わり合いにならない方が良いのである。事件に巻き込まれないとも限らない。君子危うきに近寄らず、だ。  しかし、千佳は君子ではなかった。 「わあ……豪邸だ」  その日の午後、千佳がタクシーから降り立ったのは、「白崎」の表札がはめこまれている門の前だった。  目の前にそびえる白を基調とした建物は、瀟洒でクラシカルな、ヨーロピアン調の住宅だ。  敷地面積は三〇〇坪はありそうで、とにかく広い。曲線が美しいアイアンゲートの向こうには乱張りの石畳のアプローチ。整えられた芝に手入れが行き届いた庭の植物。  目映い邸宅にはめこまれた窓の数は数えるのも恐ろしい。いくつ部屋があるというのだ。  オカネモチの家である。  目的の場所が本当にここで間違いないか、千佳は何度も確認した。住所は名刺の裏に手書きで記されていて、それを頼りに訪ねてきたのであった。電話番号も印刷されていたのだが、何度かけても繋がらなかった。  どうしよう、と新品の服に包まれた自分の体を見下ろす。昨日と同じ服では気まずいので、途中で購入して着替えてきたものだ。  奈々の家にいる間はまだ悩んでいたのだが、外に出るとどうしても白崎の顔が頭にちらつき、大胆にも電話をかけてしまっていた。繋がらないことにがっかりしたが、名刺はどうしても手から離せない。  そうして、気づけば馴染みのアパレルショップに立ち寄り、新しい服をみつくろっていたのだ。白崎に会いに行くために。  もしかしたら、嫌な目に遭うかもしれないという覚悟はあった。半分は自棄だった。  いざ訪ねてみて、冗談だったのにと笑われたり、危ない仕事を持ちかけられたり、奈々の言う通り結婚をちらつかせてお金を巻き上げられそうになるかもしれない。  それでもいいや、と思った。散々嫌なこと続きで、今更一つ増えたって大したダメージはない。念のために防犯グッズも鞄に入れている。  というわけで無謀にも足を運んだわけなのだが、想像もしていなかった豪邸を目にすると動揺してしまった。インターフォンを鳴らす前から手に汗をかき、しきりにスカートでてのひらをこする。  ボロアパートとか怪しい事務所だったらさすがに引き返そうと決めていたが、これはこれで困ってしまう。  思い返せば家政婦をさがしていると言っていたし、あれが嘘ではないのなら、豊かな生活をしているのだろう。  白崎邸の前で長いこと思案に暮れていた千佳だったが、これでは自分も不審人物だ。  考えていても仕方がない。ここまで勢いで来たんだから、これからも勢いで突き進もう。  ――ピンポーン。  インターフォンのボタンを押し、胸をどきつかせながら待っていると、「はい」と反応があった。 「ええと、あの、突然すいません。私、西山千佳と申します。昨日、白崎さんから名刺を頂いて、こちらのお住まいを訪ねるよう言われたんですが……」  早口で言って、口をつぐむ。少々の間の後、「どうぞ」と聞こえた。インターフォン越しなので断言はできないものの、この声は白崎のものではなさそうだった。彼にしてはトーンが低い。  これだけ広い家に住んでいるのだから、一人住まいではないのかもしれない。
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