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喫茶店にて(春夏冬 相馬)
あの人のあんな反応、初めて見た。
そう思いながら、僕は彼女がいつも注文する、ブレンドのコーヒーを淹れる準備をする。
けれど淹れるのは、僕ではない。
そういう仕事は、全てマスターである店主が行う。
この店では、そういう決まりで働いている。
だからまぁ、準備をすると言っても、正直そこまで、僕がやれることがあるわけではない。
僕ができるのは精々、コーヒーを淹れるカップを、用意するくらいだ。
だから僕は、その唯一、彼女のコーヒーの為に出来る仕事をするために、カウンターの内側にある戸棚から、カップを取り出す。
そうやって取り出した、淡いコバルト・ブルーの修飾が施されたカップを見て、僕は思い出す。
あぁ、そいえば......
あの人が初めてココに来たときも、このカップだった。
そう思い出しながら、僕はそのカップをマスターに渡す。
コーヒーが淹れ終わるまで、他の仕事をしながら待つ。
外を見つめている彼女に視線を配る。
そうだ、あの人はそういう客だった。
あぁやっていつも、外の雨音に視線を落として、ブレンドを待っている。
着慣れたスーツに、履き慣れたヒール。
整った顔立ちと、静かに髪を触る仕草。
そういう大人の、仕事をしている女性の姿でいつも、彼女はブレンドを待っている。
「ほら、出来たぞ。持ってけ」
そう言いながら、店主は静かに、そのブレンドが入ったカップを僕に渡す。
「あっ、はい......」
そう言って、僕はいつものように、お盆にそのカップを乗せてコーヒーを運ぶ。
運んでいるとき、ほんの数秒だけど考える......
彼女はどうして、平日の雨の日に、ココに来るのだろう......
何を想って、何を考えているのだろう......
いつもブレンドを頼むのは、どうしてだろう......
わからない。
あたりまえだ。
だって彼女は、僕からしたら、ただのバイト先でのお客さん。
それだけなのだから。
名前も、普段何をしているのかもわからない。
そういう人なのだから。
だから彼女について、何もわからないのは、当然のことだ。
そんな彼女は、僕から見れば、『大人』という言葉の意味を、全て余すことなく知り尽くしているような......
それでいて、それらを全て体現している様な、そういう風に、僕には見えた。
「お待たせ致しました。ブレンドです」
そう言いながら、僕はその人の傍に、その淡いコバルト・ブルーのカップを静かに置く。
それを見て、彼女は静かに笑って、「ありがとう」と僕に返す。
その時の言葉と共に返ってきた微笑は、少しだけズルいと、そう思った。
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