私の譲り

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 久々に帰った実家は懐かしいほどに何も変わっていなかった。いや、所々に手すりが追加されていたり、真新しいエアコンが付いていたりと、変わっている部分もあったけれど、全体の雰囲気は変わっていなかった。この何とも言えない線香と木の香りが混ざったような匂いや、いつも出迎えてくれる玄関マット、どんどん背が低くなった家具…。向こうでの生活が忙しく、数年実家に帰っていなかった所為で、より一層懐かしく感じた。  私は家に着き荷物を置いたところで、取り敢えず椅子に座り、ぐるりと周りを見渡した。使い込まれたキッチン、古ぼけたテレビ、皺が寄ってるソファー。私がぼーっと部屋を眺めていると、 「何か飲む?お茶かコーヒーならあるわよ。」 と、呆けている私に母が声を掛けた。 「じゃあコーヒーで。ミルクと砂糖たっぷり。」  母は「はいはい。」と苦笑混じりにコーヒーの準備をし始めた。カップは二つ。どうやら母も飲むらしい。 「遺品整理と言っても、あんまり片付けるような物はないのよね。お父さんの私物といえば服と本ぐらいだし、後は食器をどうするかかしらねぇ。」  そう話す母はいつも通りに見えた。 「お母さんは寂しくないの?」  そう聞いていた。聞いた後にひどい質問だと思ったけれど、聞いてしまったから後には退くこともできずにいた。きっと今私は微妙な顔をしているんだろう。そんな私をチラリと見て、ふっと少し息を吐きながら母は顔を上げた。 「もちろん寂しいわ。今でもあの人は寝室で寝ていて、そのうち起きてくるような気がしているもの。元々静かな人だったから、ソファで本を読んでいても置物みたいに動かなかったりしていたしね。」  優しく微笑みながら視線を彷徨わせ、今ここにいない人を見つめるように佇んでいる姿は…とても悲しそうに見えた。 「きっとあの人がいないことを実感するのは今日寝る時と明日起きた時だわ。もう一緒に同じ布団で眠ることはないのね。」  そこで目を伏せ、コーヒーを煎れ始めた。お湯から漏れた湯気がふわっと母の顔を包み込んでいた。
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