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ナツさんは焼き菓子の仕込みをしている最中だった。
じっと様子を見ながらオーブンの温度を確認している。焼き加減にこだわっていて、焼き上げるまでに温度を何度か変えていた。
ナツさんは最近、マドレーヌ以外にもクッキーを焼く。
クッキーは猫や犬など動物を模していて、動物の顔も手描きで仕上げる。
アラザンやアイシングを使って信じられないくらいメルヘンなクッキーを完成させていて、このクッキーだけで雑誌に取り上げられたこともあった。
「ナツさん……」
「はい?」
「もう、実家には帰らずに済みそうですか?」
「……お陰様で。実家は実家で、僕以外の人間に仕事を任せられるように動いています」
「良かった……」
これでもう、ナツさんは実家に帰って漁師をしなくてもいいんだ。
いくら実家の事業だとしても、ナツさんの適正とかけ離れた仕事に就かせてしまうのが心配だった。
もう、人生を諦めて過ごすナツさんを見たくなかったから。
この1年、私はお店の売上づくりに奔走した。
ネット販売でどうやればコーヒー豆が売れるのかと考えて、コーヒーの淹れ方やコーヒー豆の選び方動画を投稿した。
ナツさんの作った動画のクオリティが異様に高くてSNSで話題になり、ネット販売のリピーターがついた。
仕出し弁当屋では、初回限定サービスとしてコーヒーを格安で提供している。近所のママさんサークルの集まりでポット提供が注文されたりするから、これも侮れない。
実は茜さんが宣伝してくれていて、色んなサークルから発注がもらえている。料理の専門家である茜さんの言葉は説得力があって、仕出し弁当もコーヒーも茜さんがいなかったらどうなっていたことか……とたまに思うけれど。
色々やった甲斐があった。これでもう、ナツさんはコーヒーショップの店長としてここにいてくれる。
この店が、これからもこの町で営業し続けてくれる。
「利津さんも、この商店街で育っただけあって本当にお節介ですね」
「まあ、否定はしません。黙ってるなんて性に合わないですし」
私は、ナツさんと働きたかったからここまで頑張れた。
確かにお節介な気質はあるけれど、何のためかというより誰のためかが大きい。
私はナツさんの傍が心地いい。
たったそれだけのことを失いたくなくて、この一年間必死に働いていた。
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