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ex10.行き着く先もわからない不安
「何でも大きな船に乗っている」。
この一文から始まる夏目漱石『夢十夜』の第七夜が『夢十夜』のなかでも、わたしがいちばん好きな話。
わたしだけでなく、この第七夜は漱石の『夢十夜』の中でも好きという人が多いかもしれない。
『夢十夜』の第七夜は、自分が乗っている船が自分をどこに連れていくかもわからない、そんな船から海へと身を投げようと決意し、それを実行する短い話だが、なぜこんなひどく不気味で救いのない話が好きなのだろう。
その理由はよく言われるように、自分をどこに連れていくのかわからない船が、人間の人生そのものを表しているからなのだろう。
人間ひとりひとりの未来なんて、自分自身でさえもわからない。だから、われわれは心の奥底に行き先の見えないことに対して、本能的に恐怖と不安を抱えている。
同時に、その恐怖と不安を断ち切ろうと、船から暗い海へと飛び降りてしまった直後に、「無限の後悔と恐怖を抱いて」しまうところが、人間のありようを端的に示している。
行先のわからない未来に恐怖と不安を抱いてしまうが、その未来への続く道を断ち切っても後悔と恐怖を抱く。
人間の心のそんな揺れ動きが、人間一般の心のあり方を端的に描写しているからなのだろうなあと思うのですね。
そういった人間の心の動きの描写が、夏目漱石は本当にうまいなあと思うわけであります。
願わくば自分もそんなふうに書けるといいなあと思わなくもないけれど、さすがに漱石は巨人すぎるので、その足元の、そのまた爪先レベルに……、くらいは思いたい。
ところで、『夢十夜』の第七夜を読み返したんだけど、この小説は人間の人生を描くだけでなく、西洋文明に投げ込まれた漱石自身をも描いているんじゃないかなと思ったわけですよ。そして同時に西洋と日本の描写でもあるのではないかなとも。
この船には主人公以外の乗客はたくさんいるんだけど、「大抵は異人」つまり外国人、もっと言えば西洋人っぽい描写だ。
漱石はイギリスに留学して、しまいには文部省におかしくなったとまで報告される。
第七夜の主人公は西洋に囲まれた日本人である漱石自身だとすると、西洋から逃げ出したくても逃げ出せない漱石の姿でもある。
そしてまた、この作品の主人公は明治日本の姿でもある。西洋化を推し進める日本は、もはやそこから暗い海に飛び込むように逃げ出すこともできない。
けど、その行き着く先はわからない。そんな不安と恐怖も込められているのではないか。
漱石がどこまで意図したかは不明だけど、第七夜は人間の人生と明治日本を短い小説の中に重ね、そこから個人と国家の関係をも描写しているとも言えそうです。
一個の人間は西洋化にひた走る明治日本から逃げ出すこともできないが、行き着く先もわからない不安を抱えている。
そんな複合的な意味合いも見出せるほどの漱石の描写力に、令和日本のわたしは舌を巻くのでありますね。『夢十夜』をあらためて読み返すと。
今日2月9日は夏目漱石の誕生日。漱石の小説は多くの文庫にも電子書籍にもなっていますし、青空文庫でも読むことができます。
『夢十夜』は特に幻想小説的な短い話ばかりだからすぐ読めて、執筆のインスピレーションを与えてくれるかもしれないよ。
※この『ひつじのはなし』exは、2月9日にツイッターに書いたものを再構成したものです。
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