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勝てない相手
朝日はもう完全にその姿を現していた。
涼真と将吾は早朝の公園の片隅で向かい合った。もうしばらくすれば、大勢の人たちが目を覚まし、外を行き交う人たちも次第に増えてきて街が動き出す。そうなる前にはトレーニングを終えるつもりだった。
ボクシングのスパークリングをするなら、トレーナーは手にミットをはめてボクサーの拳を受けるものだが、残念なことにそのような気の利いた物を偶然再会しただけの将吾が持ち合わせているわけはない。
「本当に良いのか?」
スパークリングを提案したのが涼真なだけに、涼真は少し躊躇いがちである。
だけど、将吾は平然としている。むしろ誘ってもらえたのが嬉しいといった感じだった。
「いつでもイイぜ。かかって来いよ」
「分かった」
涼真は大きく一回深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、覚悟を決めて将吾に向かっていった。
まずはジャブとストレートから始める。将吾は素早く反応してそれらを躱した。
ジャブの回数を増やす。一回、二回、三回。涼真の拳は空を切った。
ボクシングの基本はコンビネーションである。ジャブとストレート、ボディブロー、フックとアッパー、ブロッキングとパーリング、ウィービングとダッキング。攻撃と防御と回避を巧みに組み合わせ、独自のリズムで一つ一つの動作を決めていく。
この時に必要なのは反射神経と全身の筋肉だ。鈍くてはダメだし、筋肉が柔軟に動かないと、せっかくの攻撃も単調になってしまう。
涼真はその二つについては十分なものを持っていた。だけど、いくら拳を突き出してみても、その拳が将吾に当たることはなかった。
最初は軽く「避けてくれているのか」程度に思っていたが、これだけ繰り出して一発も将吾の身体を掠めることすらできないと、なんだか情けなくて悔しく思えてくる。
スピードを上げる。ジャブ、ジャブ、フック、ストレート。涼しげな顔で将吾はそれらを避けていく。驚くべき反射神経だった。
「ちょっと単調じゃないか? もうちょっと細かく打ち込んで来いよ」
言われなくてもそうするつもりである。
ボディブロー、ジャブ、ストレート。
ジャブ、ジャブ、ジャブ、右フック、左フック、アッパー。
全力で打ち込んでいくが当たらない。なんだか逆に翻弄されているような気分になってきた。
息が切れる。苦しい。
涼真はスパーリングを中断した。
集中して取り組んでいるからこそエネルギーの消耗が激しい。ボクシングの試合が1ラウンドたったの3分なのは、その短い時間に意識を全集中させるためと、それくらいしか選手のスタミナが保たないからであった。
それにしても一発も当てられないとは。驚くべきは将吾の身体能力の高さである。
こちらは全力で打ち込んでいっているというのに、それを全て涼しい顔をして躱し、それほど息も上がっていない。
今回はただのトレーニングだったのでこちらが攻めるだけであったが、もし攻守入り混じった通常の勝負であったら、涼真の負けは確実だった。
「さすがですね、先輩」
「良いパンチだったけど、ちょっと遅かったな」
一応褒めてはくれているようだが皮肉混じりである。
悔しかった。
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