造られた生命

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造られた生命

 二十世紀末にヒトの遺伝子解析が完了してから、研究者の次なる目的はその解析した情報の活用へと移っていった。  遺伝子の話題としては1996年にスコットランドで誕生したクローン羊のドリーがいる。  遺伝子操作によって生み出された人工生命は、世界に衝撃を与えると同時に、ヒトが神の領域に踏み込んでいくことへの倫理的(りんりてき)忌諱(きい)を抱かせた。  しかし、新しい技術が確立されていくと、それを利用したビジネスも自然と模索されるようになる。例えばその対象が家畜であるなら、肉質の良い牛や乳量の多い牛が望まれたし、病気の治療に役立つ物質を家畜の身体の中で生成増産させてその乳を使う方法などが考案された。  これは古来よりヒトが作物や家畜に行ってきた交配による新品種や優良種の生成作業の上位版であり、その経済効果はヒトの倫理観を揺るがすほどのものだった。  『彼』が生まれたのは、そんな社会の雰囲気がある中で、ある意味必然であったのかもしれない。  社会は複雑になっていくほど高学歴の人材を欲したし、高学歴とキャリアを重視する風潮が高まると晩婚化が進んでいく。そうなると障害を持って生まれてくる子どもの確率はどうしても上がるし、晩婚ゆえに不妊問題に悩まされる。それに加えて、人の多様な価値観や人権を重視すれば同性婚を許容するようにもなっていく。こうなると、もはや自然妊娠を望むことは不可能であり、人工授精や遺伝子治療、クローン技術が注目されるのは当然であった。  地球上の生命は長い時間をかけて激変する環境や過酷な生存競争を生き抜いてきた。その勝者となったヒトは地上に広がり溢れた。  すると、次に起こったのがヒト同士での生存競争だった。  火を発見し、天然資源を使いこなし、蒸気機関を発明し、原子力の強大すぎるエネルギーまで手にしたヒトは、国家ごとに分かれて覇権を争うようになった。  結果として二度の大戦があり、疲弊から立ち直ったヒトは、平和を希求(ききゅう)して人権の大切さを共有するようになった。それは人種と階級による差別と支配の終わりであり、束縛と搾取と強要から解放された人々は自由を謳歌した。  こうして『強者しか生きられない社会』から『弱者も生き残れる社会』は確立されていったわけだが、ヒトの社会を動かしているのが金融資本である限り、資本家と労働者の地位は揺るがなかった。  そのような社会に生を受けた『彼』は、研究者と出資者にとっては希望の存在であり、彼らの業そのものだった。
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