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「あなたを犯してもいいと女神は仰いましたが、下手に体温を上げると凍死までに時間がかかってしまう。次の納品まで約5時間。そこで私に発見されるあなたは完全に死んでいなければならない。リスクを冒すのは止めておくことにします」
俺の偉大さに感謝しろよみたいなテンションで、清健が物騒なことを言い出した。
いやいや、待て待て。
凍死? 次の納品までの5時間以内に凍死の危険があるってこと?
ぞっとする展開だけど、急速に奪われて行く体温を思うと、清健の予想はあながち間違っていないと思われた。このままここから動けずに、濡れた状態でマイナス30度にさらされていれば、じきに低体温症に陥るだろう。
「それでは雨宮さん。ロンドンの夜に乾杯」
ふざけんな、この変態えせ紳士っっ
一方的な演説を終えて満足したらしい清健は、乾杯と言いながら再度私の写真をカシャカシャ撮り、マスクとゴーグルを装着して立ち去ろうとする。
「ちょっと待って! こんなことして、捕まらないと思ってるの!? 工場には至る所に防犯カメラがあるし、冷凍室だって、録画されてるんだから、あんたがやったってすぐ分かる。そしたらあんたの崇拝するアリサさんも一緒に牢獄行きになるよ!?」
精一杯の威勢を保ったつもりが、寒さでぶるぶる震えて、歯がガチガチ鳴る。
とにかく寒い。
寒い寒い寒い。
震えた叫びは、我ながらか弱く、負け犬の遠吠えじみていた。
でも。
このままここに取り残されたら終わりだ。
何とか時間を稼げば、清健がいないことを不審に思った誰かが探しに来ないとも限らない。この危機的状況を何とか外部に知らせなきゃ。
「…愚かな。私の女神がそんなミスを犯すとお思いですか」
清健は私の遠吠えを不気味な笑顔で一蹴にした。
「女神はコンピュータスキルに長けています。ハッキングなどお手のもの」
自慢気に言うけど、それ全然褒められないから。むしろ犯罪だから。
ていうか、清健、否定しなかったな。女神っていうの、総務部のアリサさんのことで間違いないんだ。しかも、アリサさんは清健のやってることを知っている。…ばかりか、共謀してる。
…いや。
『女神を退けて神と婚姻関係を結ぶ愚行』
清健の言葉通りだとしたら、私を『疎ましく』思って破局を願っているのはアリサさんで、むしろ首謀者と言えるかもしれない。
「…最低」
吐き捨てたい思いが口をついて出てしまった。
実際に見たのは、一度だけ。
アリサさんは目が覚めるように美しい人だった。彼女の周りだけ、空気が違った。確かに、目を奪われる。神に選ばれし美しすぎる存在。伝説の美女メデューサアリサ。清健が心酔するのも無理はない。
でも、だけど。
どんなに美しくても、こんな愚劣なことするなんて、ななせには全然似合わない。ウニで枕な私だけど、絶対に負けない。
と思っていたら、私のつぶやきを耳ざとく聞きつけたらしい清健が、顔色を変えて大股に歩み寄ってきて、
「…いっ!!」
問答無用で私を殴りつけた。
頭が吹っ飛ぶかと思うほどの衝撃に襲われて、息が詰まる。
「このクソがっ! クソ蛆虫めがっ! 蛆の分際で女神を冒涜するとは、許すまじっ」
痛い痛い痛い痛い。
左右から立て続けに顔を殴られる。何が起きたか分からないほどの凄まじい痛みと威力に襲われる。顔を覆って頭を庇いたいのに、縛られた腕は動かない。反撃も防御も何もできない。こんな風に手加減なしに殴られたことなんてなくて、痛くて熱くて悲しくて、衝撃が凄まじくて、頭がぐらぐらして首がもげ落ちるんじゃないかと思った。血か涙か鼻水か、自分の顔がおぞましいことになっているのは間違いなかった。
「…ああ、手が汚れてしまいました。蛆虫相手に無駄なことを。手袋を替えなければ」
散々殴られて、ようやく衝撃が止んだ時には、意識が朦朧としていた。
清健が何か言って遠ざかっていく気配があったけど、痛みの激しさに目も開けられず、声も出せない。自分の身体を支える気力もなく、冷凍棚に縛り付けられた縄が、手足と身体に食い込んだ。
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