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「…ななせ。侑さん。助けてくれてありがとう」
二人にお礼を言ったら、侑さんが優しく頷いて、ななせはちょっと痛そうな顔をした。
「しばらくはここで安静にしていろ。不都合や違和感はあるだろうが、徐々に回復する。苦痛がないように、痕が残らないように、全力を尽くすよ」
侑さんが私の頭を撫でてくれた。
侑さんはいつも、壊れた私を救ってくれる。癒しの手を持っている。最先端の医療技術を持っている。
大丈夫。侑さんに任せておけば、ちゃんと元通りになる。
だけど、なんか、涙が出た。
元通りって何だろう。どこに戻るんだろう。
何で私、いつもこうなのかな。
ロンドンで打ちひしがれていた私に手を差し伸べてくれた清家さんは、まがい物だった。社内の羨望を一身に集めている美の女神アリサさんは、歪んだ攻撃性を持っていた。
…怖い。
怖くて、…自分が嫌になる。
私はいつもトラブルに陥って、周りの優しい大切な人たちに迷惑をかけてしまう。この人たちに何かを返すことが出来ているんだろうか。こんな風に全力で救ってもらえる価値が、私にあるだろうか。
会社にも、多大な迷惑をかけてしまった。
大量発注で、仕入れ先のお豆腐業者さんも、提供先も、大勢の職員さんや他工場も巻き込んだ。その上、こんな身の毛もよだつ事件になって、さぞや混乱していることだろう。後処理がどれほど大変か、想像もつかない。そしてこの事件がどんな風に報道されているかなんて、考えるのも恐ろしい。
「…どうした?」
涙に気づいたななせが、私の頬に手を伸ばした。
「どこが痛い?」
ななせの声が優しくて、触れる手がいたわりに満ちている。首を横に振ると、ぽろぽろ涙が零れ落ちた。
ななせの綺麗な瞳に映る私は、やっぱり醜くて、私はななせが好きだけど、それしか持っていないなら、ななせにふさわしくないんじゃないかと思える。
「…つぼみ?」
堰を切ったように溢れて止まらない涙を見て、ななせが慌てたように撫でたり拭ったり、涙に唇を寄せてくれたりした。
ななせが優しい。
あんなに願って止まなかった私の名前を呼んでくれる。
嬉しくて、なのに悲しくて、ますます涙が止まらない。
「…おい、侑。何とかしろよ。どっか痛いんじゃねえの?」
「いやー、…」
なぜかななせが狼狽えて、私を抱きしめたりあやしたりした結果、困ったように侑さんを仰ぎ見た。
「疲れたんじゃないか。お前のデリカシーがなさ過ぎて」
「…なっ、…俺の何がっ」
「…ウニとか離婚とか欲求不満とか。記憶がないのをいいことに言いたい放題、やりたい放題。まあ、俺なら逆に見限るね」
「…お、…っ」
多分、だけど。
侑さんはここぞとばかりにななせの反応を楽しんでいるんじゃないかと思う。
「…俺はウニが好きなんだよ。マリモと並んで」
なんかななせが小声でもごもご言っている。
「ふぅん、へええ、ほおお」
侑さんが獲物を見つけたハンターの目でななせに迫る。
「…それにあの日は、ちょっと直しに行ってただけで、別にそんな、…」
それに怯んだななせが、鬼のオニヤンマに追い詰められた蝶みたいに、ふわふわ落ち着かなくなる。
なんだか。
そわそわしているななせは、貴重で可愛い。
思わずまじまじななせを見ると、ふて腐れたように目を逸らされた。
「ほらな、泣き止んだ。お前も泣かせてばっかいないで、ちゃんと慰めろよ。今のところつぼみに身体的な痛みはないはずだけど、精神的なダメージは相当だろうから」
侑さんが長い腕を伸ばして私の頭を撫でると、
「今は何も考えずに休め。大丈夫、お前は何も悪くないよ」
慈しむような眼差しを注いで、ゆっくり言い聞かせた。
その言葉は魔法の薬みたいに私の中に落ちて、溶けだして全身を巡り、眠気を誘った。侑さんは本当に優秀なお医者さんだと思う。
「…ここにいるから」
眠そうな私に気づいたななせが、私の手を優しく握って、薬指にはめている指輪をそっと撫でた。それが合図になったみたいに、急激な安堵に包まれて、急速にまた、眠りに落ちていった。
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