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「覚えてたのね、お姉さん」
嘲るような笑みを浮かべて、煙草をくわえたままサングラスを上げた助手席の女性は、やや吊り上がり気味のヘーゼルの瞳で私を見た。
やっぱり、スミスさん。
髪の色は変わっているけど、顔の造形は以前会った時のまま。私をお姉さん呼びするのもあの時と同じ。生真面目な話し方は打って変わって乱暴だけど、声は変わらない。
「スミスは偽名だけど。その節はどうも」
スミスさんは目を細めて私を見つめると、これ見よがしに私に向かって煙草の煙を吐き出した。
やっぱ、この人性格悪い。
オリビアちゃんのマネージャーをしていたスミスさん。今や真面目なインテリ風味の外見は見る影もなく、黒ずくめの格好は夜に溶け込んで闇の戦闘員みたいに荒々しい。
そうか。
そこからななせに近づいたんだ。
オリビアちゃんはななせにべったりだったから、オリビアちゃんに付き添う名目でななせの様子を探ることは容易だっただろう。ライブ会場のそばで都合よく清健が現れたのも、密会云々の写真やネタをマスコミに提供できたのも、スミスさんが指示していたとしたら説明がつく。もしかしたら、ななせがオリビアちゃんに呼びだされて乗った列車自体、最初から狙われていたのかもしれない。
「オリビアはナナセに執着してるからね、利用するのは簡単だったわ。姫井アリサといい、清健治といい、絶対的に何かを信じている人って扱いやすいわよね」
スミスさんは嘲りを隠そうともせずに言い募る。
オリビアちゃんはななせが好きで。清健はアリサさんが好きで。
思いが行き過ぎて執着したり暴走したりすることはあるけど、そもそも人が人を思う気持ちは貴い。
オリビアちゃんにはイラっとしたし、清健は恐怖でしかなかったけど、それでも、その気持ちを弄んでいいことにはならない。
「ただ、ナナセは予想外だったわ。指輪を返すって取引を持ち掛けたんだけど応じてくれなくて。愛妻家が事故で豹変しちゃったのね。その指輪を見ても顔色も変えなかった。もう要らないんだって」
手のひらに握りしめたななせの指輪。
「お姉さんは必死だったけど、ななせは全然未練ないのね」
スミスさんは私に打撃を与えようとわざと畳みかけてるんだろうけど。
悔しいかな、それはおおむね成功していた。
ななせ、もう要らないんだ。
いや、分かってたけどね。別れたいって言ってたしね。
簡単に傷つく弱い豆腐つぼみを、慌てて鋼つぼみが慰めに入る。
いやいやでもでも、取引に応じないためにわざとそう言ったのかもしれないじゃん。
ていうかさ、人を打ち上げ花火にしようとか残忍でしかない上に、更に傷をえぐってくるってどうなんだろう。性格、劣悪なんですけど。
「We've arrived. Chatting is over.」
スミスさんの性格の悪さに憤りを感じていたら、いつの間にか目的地に着いてしまったらしく、バンが停まった。
一面の暗闇。街灯も建物も遥かに遠く、見渡す限り何も見えない。だだっ広い、空地? …いや。
「ちょうど良かったわね」
前に乗っている二人がドアを開けると、上空からホバリングの音が聞こえてきた。
窓から見上げてもその影は見えないけど。
…ここ、ヘリポートだ。
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