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「…な、もしも。明日世界が終わるとしたら、お前どうしたい?」
吸い込まれそうな星空の下で、時間と空間と自分の存在が曖昧になる。
広大な宇宙の中では、人も虫も草木も海もみんな等しく取るに足らない。私が今ここにいることも、自分よりも大切な人と永遠を願って一緒に居ることも、全て何の意味もない。
今に、意味も価値もない。
明日には全部失くなってしまう。
それでも。私にとっては、…
「…ななせといたい」
神さまがくれたかけがえのない大切な時間。
どこにも何も残らなくても、誰にも認めてもらえなくても、一瞬の後に消えてしまっても。
他の何にも替えられない幸せな時間。心が満ちて震える、唯一無二の愛しい時間。…だから。
「…そうか」
世界に二人ぼっちになってしまったかのような暗く静かな海辺で、並んだ肩にブランケットがかかる。相合傘で区切られた二人だけの空間みたいに、毛布の中に佇む二人だけが、世界の全て。
「俺は、…最後にお前に触りたい」
暗がりの中で見上げたななせは、怖いくらい綺麗で。
低くて甘いななせの声は、少しかすれて風に揺れた。
何も言えなくて、何も聞けなくて、ななせから目を逸らせない。
ななせの優しい唇がそっと唇に触れても、
髪に差し込まれてた長い指が耳をくすぐっても、
唇が柔らかく何度も何度も繰り返し触れてくれても、
涙に滲んだ今この時を感じることしか出来なかった。
帰りの高速はやっぱり空いていて、行きよりもずっと早く時間が過ぎていくような気がした。ハンドルを握るななせは相変わらず完璧にカッコいいけど、何だかあんまりななせを見れない。このまま帰りたくないような、それでいて早く帰りたいような、どっちつかずな気持ちは置き去りのまま、銀色の車は滑るように夜を走り抜けていく。
『最後にお前に触りたい』
ななせ。
ななせがずっと優しくて、今日が楽しくて嬉しかったのは、最初から終わりを決めていたからなの?
もしも明日世界が終わるなら。
「…私もななせに触りたい」
ななせがいないなら、私の世界は終わりを告げる。
今ここにいる実感が欲しい。どんなに願っても永遠は来ない。いつか終わるなら。明日が来る前に。失ってしまう前に。ななせに満たされたい。私の存在を証明して欲しい。
私のつぶやきが聞こえたのか、ななせが左手を伸ばして頭を優しく撫でてくれた。
「頼みがあんだけど」
自宅マンションに着くと、ななせから思いがけないミッションを課された。
「…ウエディングドレス、着たとこ見たい」
クローゼットの奥深くにしまい込んであるドレス。ななせが私のためにデザインをお願いしてくれて、見るだけで幸せになるような素敵なドレス。なんだけど。
「結婚式で、…」
見て、って言いたかった。
ななせに一番に見て欲しい。けど、それは、結婚式でも見てもらえると思ってたからで。ななせと並んで歩く私をみんなにも見てもらえるから。だけど今のななせは、
『最後にお前に触りたい』
結婚式にはいないような気がして。
「…ダメ?」
ななせがちょっと寂しそうな目でお願いしてくるから、ダメとか言えない。
「…じゃない、けど。…ななせ、どこにも行かないよね?」
どうしても。
ななせがいなくなってしまう気がして、ななせを引き留めたいのに、その術が見つからない。
「…行かないよ」
ななせの美しく澄んだ瞳が揺れる。
ななせの言葉に嘘はないと思うのに。
「ちゃんと、帰ってくる」
ななせの甘い声が不用意に掠れて、安心させるように触れてくれた唇は、何かを秘めている気がした。
もう、覆らない何かを。
ななせが車を返しに行っている間、一人おずおずとクローゼットを開けた。
もう。着れないんじゃないかと思っていた、清楚で可憐で素敵すぎる純白のドレス。誰よりもななせに見て欲しくて、その願いが叶うのに、何でこんなに不安になるの。
『俺、ウエディングドレス着たつぼみとやりたい』
ななせだけど、ななせじゃないから?
もう二度と。失くしたくないのに。離れたくないのに。それだけが願いなのに。
予感がするのはどうしてだろう。
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