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「…まあ、大丈夫なわけないか」
電話の向こうで侑さんが苦い顔をしているのが分かる。何故か侑さんにはいつも私の挙動が筒抜け、…というか、頭の中が透けて見えている節がある。
「…こんな時はやっぱ肉だろ。持ってきた」
え。
「侑さん、いらしてるんですか!?」
何と言うことだ。
お風呂場でぐずぐずしている間、お義理兄さんを大雨が降りしきる夜の街に放置してしまった。
「…どっ、どうぞどうぞ」
「あ、いや。…急に悪い」
慌てて侑さんを自宅に招き入れる。
ややあって現れた侑さんは、冷たい雨の匂いがした。どのくらいお風呂場にいたか定かじゃないけど、結構な長時間、外で待たせていたのは間違いない。
「すみません、着信気づかなくて。濡れちゃって、…」
「…いや、大丈夫だから。お前ちゃんと髪乾かせ」
持ってきたタオルを侑さんに渡すと、逆にそれで頭を拭かれた。
そうだった。シャワーを被って割とそのままだった。
反省してたらいつの間にか侑さんに後ろからドライヤーを当てられていた。
出来る医師はやることが早い。
泣き過ぎた反動か水分不足なのか、遠慮する気力も沸かず、為されるがままソファに座って風を受けた。温かい。湿った髪が乾いていく。湿った心に風が吹く。多分、この人相手に取り繕っても、もう遅い。
「…ななせの居場所は、分かってるから」
ドライヤーの音に混ざって、侑さんの低い声が届いた。
「え!?」
振り返ると、顔面にドライヤーの風をもろに受け、泣き過ぎ不細工な顔を顕わにしてしまった。今更遅いとはいえ、恥ずかしい。
と思っていると、ドライヤーが止み、侑さんの大きな手が頬を包んだ。
「…全く。ななせの気持ちも分からんでもないが、…」
侑さんが痛々しそうに目を細めて、親指の腹で頬を撫でる。
「泣かせ過ぎだよなぁ、…」
泣き過ぎて、腫れて浮腫んだ顔も、酸攻撃で火傷した顔も、殴られて内出血した顔も、思えば侑さんには全て晒している。その度に、そばにいて広く大きな心で全て包み込んでくれる。侑さんには、心の傷も身体の傷もいつも癒してもらっている。
「…ななせじゃなきゃダメなのは分かってるけど」
侑さんがソファを回り込んで正面からそっと私の頭を抱きかかえた。この広い胸の中で何度泣かせてもらったか分からない。侑さんがいなかったら今の私はいない。
この人の腕の中は、どこかななせと似た匂いがする。
「…あの。ななせ、…元気にしてますか」
でも。
どんなに居心地が良くてもななせの匂いに似ていても、ななせじゃない。
その事実に、目の奥が痛くなる。
「…元気、…とは言えないかもな」
侑さんが困ったように吐いた息で、私を抱える胸が揺れる。
「でも今のあいつに出来る最大限の愛情の形だったんだろうとは思う」
そんなの、全然分からない。
何があってもどんなななせでも、そばにいて欲しかった。
目の奥から新たな涙が込み上げる。
『…侑。明後日、ちょっと時間くれる?』
ななせは、侑さんの所にいるのかな。
そういえば、侑さんに話したいことがあるみたいだった。
私がもっとちゃんとしてて、侑さんみたいに医療スキルがあって頼りになって相談にも乗れて、ななせのためにもっと何かできる存在だったら、
「…いや。そんな恨みがましい目で見られても困る」
ななせは私にもちゃんと話してくれたんだろうか。
侑さんが苦笑しながら私の頭をポンポン撫でて、再びドライヤーの風を当てた。同じドライヤーの風なのに、髪を梳く指がななせじゃないことが悲しくて、そう思ってしまう自分がどこまでも嫌になった。
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