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躑躅ヶ崎館の姫
甲斐躑躅ヶ崎館
武田信玄の娘、松姫は、うららかな春の日差しを楽しむ様に、縁側に座り、太陽を向いて目を細めていた。
「暖かい。わたくしは寒いのは嫌い。漸く甲斐にも春が訪れてくれたのですね。ねえ、さくら」
「はい姫様。されどまだまだ風は冷とうございます。風邪など召されますと大変です。火鉢でもお持ち致しましょうか?」
「火鉢?火鉢などいらぬ。其方には風流という言葉がないのか。まあ仕方がない、町人の娘に、そのような雅を求めたわたくしが悪かった。さくら、謝る」
「またまた、その様な憎たらしいことを」
そう言って白湯を松姫に差し出したさくらは、笑顔を浮かべながら廊下の奥に引っ込んだ。
さくらは松姫が4歳の時に武田家に奉公に来た。両親は敵方の乱取りに遭って死に、その際、誘拐されそうになったさくらを武田方の武士が助け出し、同じ年の松姫の遊び相手として城に上がったのだ。
いまではさくらも7歳。裕福な家庭ではなかったが、一人娘のさくらは両親の愛情を独り占めして育った。その頃の思い出を小出しにし、目を閉じて眺めては、心の支えにしてきた。松姫との相性も極めてよく、互いに言いたい事を言える姉妹のような関係であった。
そんな中、この度、松姫の婚約の話しが浮上し、その相手が尾張の織田信長の嫡男だと知らされた。
「織田の殿様って」
さくらは台所の端にある狭い縁側に腰かけ、足をぶらぶらと揺らしていた。
殆どと言っていい程、城から出たことのないさくらにとって、尾張がどこにあるのかさえわからない。松姫が尾張とらやに嫁ぐということは、自分も一緒に行くことになるのだろうと、未知の土地への期待感に少しだけ、心が揺さぶらされていた。
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