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松姫の容姿の不安
その一年後のことである。織田の若君からの文が、松姫の元に届いた。
「さくら、さくら」
松姫は文を胸に当て、悩ましい表情を浮かべていた。さくらは姫に、
「ささ、早く文を開いたら良いではないですか。何を戸惑っておられるのです、さあ姫様早く、わたくしも中身を知りたい」
「うるさいのう、全く、お前にはわからぬ」
文を胸に押し付けた松姫はぷいっと横を向いた。
「そうですかあ、わたくしには、その様な経験がござりませぬゆえ、姫様の心情を察することは出来ませぬが、それゆえ、なぜ文を開けないのか、不思議なのでございます」
「何が書いてあるのか不安なのよ。もしかしたら、わたくしとの婚姻に不快感をお持ちなのか、心配なのじゃ」
「なにゆえ織田の若君様が、この婚姻を不快と思われるのですか」
「それは」
「それは?」
松姫は文を膝の上に置き、大きなため息をついた。
「いつの頃だろうか、気づいたことがあるのじゃ」
「気付いたこととは?」
「わたくしは、醜女だと」
「そっんな」
さくらは居間の中を見渡し、松姫に膝を近寄せた。
「だれがその様なことを」
「だれでもない。気づいたのだと申したではないか」
再び、大きなため息をついた姫は、上目遣いでさくらを見た。
「父上も母上も、乳母の米子も、わたくしを賢い子だとか、心根のやさしい子だとかは言ってくれるが、生まれてからこのかた一度も、可愛いと言われたことがない」
「そんなことございませんよ。松はいつもかわいいと、お屋形様も油川夫人(松姫の生母で信玄の側室)も仰せです。そう聞いております」
「それは、我が子という意味での可愛いであり、容姿ではない」
「またまた、それを歪んだ考えというのです。その様に思っているのは姫様だけです。わたくしは、姫様のこと、美しい方だと思います」
「それは誠か?」
松姫はうつむいた顔を上げ、さくらを見た。さくらは大きくうなずいて見せ、松姫の手を取った。ふたりは暫くそうして目を合わせていたが、松姫はその手を大きく振り払った。
「其方を見ていると、その言葉の真実味が薄れる」
「どういうことでしょうか?」
少々怒った様な顔で、さくらは松姫を見つめ返した。
「其方はいつも笑顔で、その笑顔が可愛くて、眩しい程じゃ。それに比べ、わたくしは」
「姫様、姫様は、大きくて美しい目をしてらっしゃいます」
それを聞いた松姫は、考え込む表情をした。さくらの言う通り、松姫はぶさいくではない。目も大きく、二重である。顔は少しばかりしもぶくれだが、ちょこんとした小さな鼻と、ふっくらとしたおちょぼ口。決して悪くはないのだ。しかしいかんせん、がたいが良い。8歳でありながら、身長は160センチ近くあり、骨組みが太い。それと対照的なのがさくらである。さくらは小柄で線が細く、どこか頼りない顔をしている。しかし元来の明るさと、嫌な顔ひとつせず働く姿は人々に好感を与え、さくらの周りには常に人で溢れていた。松姫も例外なくさくらが大好きだった。そこで松姫は思いついた。突然、顔を上げ、大きな笑顔を向けた。
「そうじゃ、そうじゃ。良いことを思いついたわ。そうじゃこれが良い。これが良い。なにゆえこれまで思いつかなかったのだろうか。誠に、わたくしとしたことが」
「はあ…」
掌に拳をあて、「閃いた」と喜んでいる松姫を、さくらは怪訝な表情で見つめていた。この後、とんでもない提案がされることも知らずに。
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