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「わざわざおおきにですわ、森はん。課長はんまで」
退社時刻の三十分前に訪問したにも関わらず、阿部さんは電話口と変わらない朗らかな口調でそう言い、ふくふくとしたお顔をほころばせてあたしたちが用意したお祝いの品を受け取ってくれた。
「せっかくお越しいただいたんやから、次の担当をご紹介しときたかったんですけどねぇ。ちょうど出先からまだ帰っとらんのですわ。まあ、うちのもんはみな、トーマさんのとこのことはよぉ分かっとりますさかい、担当者なんて便宜上みたいなもんですから。困った時に相談する先くらいのつもりでおってくれはったらええですわ」
軽快な口調で阿部さんはそう言うと、自分のデスクの片付けがあるからと戻って行った。このあと社内で退職のご挨拶をしてから、ご帰宅されるという。
せっかくだから最後までお見送りさせていただくことにして、あたしと課長は事務内のパーテーションで区切られた応接コーナーにそのまま留まることにした。
すると阿部さんと入れ替わるようにして、専務さんが顔を出しにきた。あたしたちが来ていることを聞きつけたらしい。
行きがけの車中で、黒田製菓の専務は社長の息子さんだと聞いたばかりだったけれど、課長より少し歳上に見えるから、あたしはその若さに内心で驚いてしまう。
その専務さんが「結城課長、今よろしいですか?」と言って課長をどこか連れて行ってしまった。
その際、課長はあたしに「俺が戻ってくるまで、絶対ここを動くなよ」と念を押すように言い含めた。
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