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「あのっ…!黒田製菓さんのことやなかったんですかぁっ」
ミーティングルームのドア付近で彼にしっかりと抱き込まれたまま、あたしは必死に訴える。
まかり間違っても、『密室にふたりきり』なんてことにならないよう、毎日気を遣って過ごしてきたのに。まさか自分からその事態を招くやなんて…!
今ほど自分のうっかりを恨んだことはない。
自分がやらかした失敗のことで、上司から『詳しい話はミーティングルームで聞こう』と言われたら逃げきれるはずがなかった。
「そうだけど?―――黒田製菓の阿部さんが今日で定年退職されるんだったよな」
「そ、そうですぅっ……、やからそのぉっ阿部さんになんとかご挨拶を――って…!ちゃんと話を聞いてくださぁいっ…!」
「ちゃんと聞いている」
「そやったらっ…!」
この体勢はおかしいでしょーがっ!
ミーティングルームで席にも着かず立ったまま―――というところまでは許容範囲としても、しっかりと抱きしめられているなんて絶対に変!
「要は今日の定時までに黒田製菓さんに行ければいいんだろう?」
「そ、そうですけどぉっ」
あたしが今日担当するツアーは、十六時半で上がり。
そこからダッシュで黒田製菓さんへ向かっても、阿部さんの退社時刻にギリギリ間に合うかどうか。
ここから黒田製菓さんまで、直線距離的にはそんなに離れていないのだけど、いざ行こうとすると電車を乗り継がなければならないから思ったより時間がかかる。
空を飛んでいければ余裕で間に合うんだけど、残念ながらあたしには無理。
直接ご挨拶するのはもう無理だとしても、定年退職のお祝いくらいはお渡ししたい。せめてそれだけでもなんとかならないか調べようと思っているのに、こんなことで足止めを喰らっている場合じゃない。
課長の腕の中で歯噛みをしたその時。
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