イングリッシュ・ローズは夜咲う

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「紺、」  僕が名前を呼ぶと、紺は嬉しそうにふにゃりと笑った。  ああ、その笑顔は本当になにも変わっていなかった。紺は嬉しいことがあると、赤ん坊みたいに無邪気にふにゃふにゃと顔を緩めるんだ。それを見た瞬間ますます胸が苦しくなって、僕は涙を零してしまった。  紺はしめ縄の向こう側に居た。紺の小さな手では千切ることも難しそうな太い縄にはたくさんの鈴がぶら下がっていて、風に揺れてチリチリとなっていた。まるで、お前にこちらに来る資格はないと牽制しているように。  その鈴の音に少しだけ寂しそうな顔をしたあと、紺は僕を呼んだ。兄ちゃん、と昔みたいな甘ったれた声で。 「やっと来てくれたね、兄ちゃん」  紺は本当に嬉しそうだった。僕ともう一度会えたことが幸せでたまらないというように笑っていた。そんなの僕も同じで、でもどうしてもそれを伝えることができなかった。  紺は神様にさらわれてしまったあの日から、ちっとも変わらない姿だった。  子供のままで、僕の前に佇んでいた。  僕はもうとっくに大人になってしまったのに。いつまでも、紺はあの日に取り残されたままだった。  そのことが悲しくて、悔しくて、涙が止まらなくなる。紺はそんな僕を見て寂しそうに目を細めるだけだった。一人先に行ってしまった僕を責めることも、置いて行かれた自分を嘆くこともしなかった。それが余計に辛くて、僕はなにも彼に言ってあげることができなかった。  ずっとずっと紺に会いたかった。会って謝りたかった。あのときなにもできなくてごめん。君と助けられなくてごめん。君を置いて逃げ出してしまってごめん。でもどれも喉につっかえて、一つも言葉にできない。  ぐちゃぐちゃになった頭で必死に考えた僕は、結局ある言葉を絞り出した。 「ねえ紺、僕は君になにができる」  なにをすれば罪滅ぼしになるのだろう。どうしたら、彼に赦してもらえるのだろう。情けないことに、僕にはそれしかできなかった。僕の力じゃ紺を神様から取り返すことはできないと残酷なまでに悟ってしまっていた。だからせめて、大好きな弟に兄らしいことをしてやりたかった。  きっとそれはただの自己満足だ。僕は自分の罪悪感を拭いたかっただけだ。でも、優しい弟は僕に笑いかけてくれた。 「いっしょにあそんでよ、兄ちゃん」  紺が僕に向かって手を差し伸べる。僕はようやく笑みを作って、愛する弟のもとに近付いた。  けれど、それを許さないというように、目の前が真っ暗になった。
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