第四章

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第四章

 別れのときへと、ヴェラは相変わらずの迷いのない足取りで、僕の手を引いていった。そして辿り着いた、青い空を掲げる森の出口。ヴェラはそこでようやく止まり、口を開いた。   「森の外は広いわね。世界って大きいわ。ライル、魔法はあなたが思うほど万能ではないの。この大きな世界を変える力はない。でも実は人間は、自分だけの小さい世界を持っていて、そこにはちゃんと魔法が効くわ」 「小さい世界?」  「今に分かるわ。さあ、約束を果たしましょう。お伽話の魔法使いは、箒で空を飛ぶのよね。現実にはね、体は飛ぶには重すぎる。だけど軽い影ならいいわ。あなたの影を飛ばせてあげる。私が魔法をかける間、自分の影を見つめていて。瞬きしちゃだめよ」    言われるまま、影と向き合う。ヴェラが少し離れたところで、ゆっくり数を数え始めた。さっきの謎めいた発言の方が魔女らしかったと思いながら、僕は瞬きをじっと堪えた。  ふっと影の輪郭がぼやけた。貼りついていた地面から浮き上がるように。  胸が高鳴った。同時に「空を見て!」と声がして、僕は弾かれたように顔を上げた。    蒼穹に、白い僕が浮かんでいた。   「どう?」 「うん――ほら、あそこに」 「白いあなたの影が飛んでる? 私には見えないの。魔法がかかったのは、あなたの世界だけだから。今度は私が自分に魔法をかけてみましょうか」    ヴェラは自らの影に目を落とした。十数えて空を見上げ、上手くできたと呟いたが、僕の空に彼女の影はない。    僕の影が浮かぶ世界。彼女の影が浮かぶ世界。ここを通りかかる人がいれば、きっとまばらな雲だけが浮かぶ世界を見るのだろう。大きな一つの世界と自分だけの小さな世界というのは、本当にあったのだ。小さな世界だけに効く魔法も。    興奮冷めやらぬ僕に、ヴェラは微笑みかけた。晴天の下なのに、どこか暗い笑みだった。   「あなたにお願いがあるの。私がこの世から消えたあと、いつか必要なとき、魔女の存在が許される時代に、私を呼び戻してくれないかしら」 「……そんな、復活の魔法なんて無理だよ。ヴェラは持ち上げて落としてばっかりだ。魔法が見られて嬉しかったのに、やり方も教えずに難しいこと頼んで、しかも消えるなんて言わないでよ」    傾き始めた太陽を追い越して、心が沈む。そこへ銀色の風が、葉と花と闇とを運んできた。――銀の裏地の、ヴェラの黒衣。彼女は僕を抱きしめて、「ごめんね」と囁いた。   「ここでの記憶に、ずっと触れていたいと思わせてはいけないから。魔女狩りが終わるまで、私のことは忘れていなくちゃ。棘の生えた今日の記憶に覆いをかけて、未来へ進んで。お願いのことも心配ないわ。その魔法は人なら誰でも使えるし、世界も手を借してくれる」  腕が緩んだ。僕を村の方へ向かせた彼女の口が、ついに別れの言葉を紡ぐ。 「さよなら、未来の魔法使いさん。ごっこ遊びは卒業、お父様と仲直りしてね。その幸せで、ここでの記憶を覆えるわ。……魔女と呼ばれる喜びを蘇らせてくれて、ありがとう」  頷き、僕は駆け出した。涙をヴェラに見せたくなくて、一度も振り返らず、ヤナギの立ち並ぶ暑い小道を走りに走った。
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