屍解転生

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屍解転生

 江戸時代中期の頃、比叡山に弘春律師(こうしゅうんりっし)という若い修行僧が居た。  弘春は貧しい出自ながら天賦の才が有り、学問に秀で書を好み、顕密の学識の深さでは並み居る天台の高僧達も一目置くほどであった。  そんな弘春が恋をした。  托鉢行のため立ち寄った山麓の村に住む、若く美しい娘を一目見て恋に落ちたのだ。  娘の名は美津という。年の頃は十五になったばかりであった。  修行の身には許されざる恋であるが、まだ数えで二十歳にもならない弘春の若い血潮は叡山の厳しい修行とて鎮められるものではなかった。托鉢のたびに父親と二人暮らしの美津の家に立ち寄り、わずかばかり言葉を交わすことが、弘春にとって何よりの楽しみとなっていたのである。  しかしその楽しみは長くは続かなかった。  美津が不治の病に憑りつかれたのである。  弘春は懸命に加持祈祷を行い、美津の病の平癒を祈ったが、その祈りも空しく美津の病状は悪化する一方であった。 「弘春よ、これも宿業であろう。お前が悲しむのはわかるが、後は御仏に任せるが良いのではないか」  同期の律師・玄朝がそういって弘春を慰めた。しかし弘春は恋に狂っていた。 「玄朝よ、これが御仏の意思であるというなら俺は逆らう。屍解(しかい)の法を使うぞ」 弘春の言葉を聞いて玄朝は飛び上がらんばかりに驚いた。 「弘春、屍解の法は外法なるぞ。必ず仏罰を受けることになる」 「今俺が受けている苦しみほどの罰などあろうものか。俺は美津さんを転生させるのだ」  ついに息を引き取った美津の元に、枕経のためと訪れた弘春は突然懐剣を取り出すと美津の掌を傷つけた。驚く父親には構わずさらに自らの掌を傷つけ、その傷を美津の傷に合わせた。  弘春の口からは真言ではない呪文が聞こえた。  呪文を唱え終わった弘春は懐剣で自らの喉を突き絶命した。 (俺は、今世の記憶を持ったまま転生する。そして同時代に転生した美津さんを探し出すのだ)  時は流れて令和の世になった。  弘春は平凡な会社員の家庭の長男・(ひろし)として転生した。  ごく普通の子供として育ち、小学校、中学校、高校と普通に進学し、高校を卒業するころ、ついに前世の弘春の記憶が甦ったのである。 (今、この時代のどこかに、転生した美津さんが生きているはずだ)  弘は高校を卒業すると同時に家を出て、アルバイトをしながら比叡山の山麓の町や村を訪ねて美津の姿を探し求めた。しかしそれは藁の山の中から一本の針を探すほどに困難なことであった。  弘は比叡山を仰ぐと心の中で、捨てたはずの仏に祈った。 (私は仏の教えに背いた身ゆえ、いかなる罰も受けます。しかし、今はなにとぞお力をお貸しください)  間もなく弘は転生した美津を見つけ出すことができた。  アルバイトで働き始めたケアハウスに入所している80過ぎの老女の掌に、見間違うはずもないあの刀傷を発見したのだ。 「探しましたよ、あなたは美津さんですね?」 「はい、私は美津子ですが・・よく私の名をご存知で」  車椅子に座った美津子はぼんやりとした視線で弘の顔を見つめて言った。  弘は美津子の顔を真っ直ぐに見ながら話した。 「美津さん、すみません。私は屍解の法をしくじったようです。あなたがこんなに歳を取っていたなんて」  美津子は皺のよった頬を緩ませて微笑むと、今度ははっきりした声で話した。 「歳は誰でも取りますよ。私も先は長くありません。でもあの人が迎えに来るんです。約束したんですよ」  弘は歓喜の涙をこぼした。そして自らの掌の傷を美津子に見せて言った。 「それは私です、弘春です。あなたを迎えに来ました。今度こそしくじりません。もう一度、屍解をやり直しましょう」  しかし美津子はふたたびぼんやりとした表情に戻ると、小さな声で呟いた。 「もうすぐあの人が迎えに来るんです。先に行った主人が迎えに来るんです。約束したんです・・・」  弘は仕事を終えケアハウスを後にすると、その足は自然に比叡山の方向に歩み始めていた。これより他に弘の、弘春の進む道は無かった。 (六根清浄、六根清浄・・・)
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