友の為に

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 僕はとても幸せな人間だった。  可愛い娘に美しい妻。その二人を失ってしまったあの日までは。 ーー 「どこへ行ってしまったんだ……」  酒場の隅でいつものように一人、ジョッキを煽っている僕の前にスッと影が現れた。顔を上げるとそこにいたのは僕の幼馴染だった。 「またこんなところで飲んだくれて。ちょっと飲みすぎじゃないのか?」  そう言いながら彼は僕のジョッキを取り上げるとグイっと残りを飲み干した。 「うるさいな。お前に何がわかるって言うんだよ。ビール!もう一杯!」  僕は彼を睨みつけるとカウンターに追加のビールを注文する。そんな僕の顔を心配そうに見ながら彼は小さな声でこう言った。 「何もわかりゃしないさ。可愛い盛りの子どもが誘拐されただけでなく、奥さんがその数日後に行方不明になった男の気持ちなんてな。でもお前がものすごく苦しんでいることくらいはわかるさ。それに、俺はお前までどこかに行ってしまうんじゃないかって心配なんだよ」 「俺がどうなろうとお前に関係ないだろ」  届いたビールをゴクゴク飲むと僕はそう吐き捨てる。 「そう言われてしまうと何も言い返せない。でもな、お前がいなくなってしまったら、家族が揃うという希望が失われてしまうじゃないか」  自分のジョッキを口元に運ぶ彼を見ながら、僕は少しだけ彼に悪いことをしてしまったような気がした。彼は僕たち家族が揃う日がまたくると信じてくれているのだ。その気持ちが僕の心にささる。 「すまん」  僕が呟くと彼は僕の顔をまっすぐに見つめた。 「いや、いいんだ。でな。もしよかったら今度の日曜日にある、展覧会の授賞式に来て欲しいと思ってるんだが」 「授賞式?」 「ああ。ついに僕の作品が認められたんだよ!しかも今回の作品は、お前を元気付けようと思って作った作品だから喜びもひとしおでな。よかったら。いや、是非ともお前に見て欲しいんだ」 「ああ。わかったよ。授賞式ってことはその作品が賞をとったってことだよな。おめでとう。すごいじゃないか!これからはもっと身なりもちゃんとしないとな」  ボサボサの頭にボロボロの上着、破れたズボンにかろうじて靴と言える靴を履いた彼を見ながら、僕は久しぶりに喜びという感情を思い出した。 「ありがとう。じゃあ日曜日、会場で待ってるからな」  そう言うと彼は僕を残して酒場から出て行ってしまった。  彼は僕の幼馴染であり芸術家だ。  彼の作る作品は、命が宿っているかのような精巧なモノ。あまりに本物のような作品ばかりなので彼の作品を『剥製』だと勘違いする人間も多い。なので『剥製を自分が作り出したものだと言い張る男』というレッテルが張られ、それが独り歩きしてしまっている。  なので彼はいつまでたってもある意味有名(おおぼらふき)な作家であり、その日食べるモノにも困るくらいの生活をずっと続けていた。  その彼が展覧会で受賞。  一体どんな作品を作り上げたというのだろう。僕を元気付けようとした作品だと彼は言っていた。そんな作品が認められるだなんて。  ずっとやさぐれていた心がほんの少しだけ前を向いた僕は、ジョッキの残りを一気に飲み干すと誰も待っていない暗い家へと帰ることにした。 ーー  日曜日。  僕は約束通り授賞式の会場にいた。  ステージの上には大きな布で覆われ隠された彼の作品。今回はかなり大作だな。そんなことを思いながら彼が出てくるのをじっと待つ。 ”それでは今回の大賞です!作品名は『家族の愛』っ!”  その声と同時に布がバサッと取り払われ二つの像が姿を現した。会場には溢れんばかりの拍手が鳴り響き、そんな中、彼がステージ上に現れた。 「おめでとうございます!それにしても素晴らしい作品ですね。まるで本物の人間としか思えない。大切な人を元気付ける為に制作されたというこの作品。受賞にあたり、ひとこと。よろしくお願いします」  司会者にそう言われ、マイクを渡された彼は手を振る僕に気がついたようで、僕に軽く手を上げながら話し始めた。 「この作品は僕の幼馴染である彼に贈る作品です。彼の愛する娘と奥さんは1年前に姿を消してしまいました。モチーフはそんな彼の娘と奥さんの二人です。僕は彼女達の為にも、この作品を世間に認められるものにしなくてはならなかった。これから彼の家族の為に、もっと頑張りたいと思います」  会場を埋め尽くす拍手の中、彼は満足そうに何度も頷いた。  授賞式が終わり、僕は彼の元へと向かった。 「いやあ。おめでとう。僕の家族の為だなんて。僕はもっと前を向いて頑張らなくてはいけないね。おめでとう。そしてありがとう」  彼の横に並ぶ僕の娘と彼女は本物の僕の娘と彼女のようで。僕は家族との久しぶりの再会に涙が止まらない。ああ。彼の才能は本当に素晴らしい。 「いやあ、ありがとうと言いたいのは僕の方だ」  ニコニコと笑う彼と、僕は固い握手を交わした。 「そうだ。今晩僕の家に来いよ。お祝いしてやるよ」 「ああ、喜んで。いや、お前、もっと家族と一緒にいたいだろ?俺んちに来いよ。今まで助けてもらったお礼もかねて」 「いいのか?」   「ああ、二人もお前が来てくれるのを楽しみにしてるだろうし」  そう言うと彼は彼の作品である僕の娘と彼女へと目を向けた。  二人。僕の娘と彼女。僕も二人と一緒の時間を過ごしたい。彼の作った作り物の彼女達だとしても、僕の家族と過ごせる時間。 「ありがとう。本当にありがとう」 「いや、だからありがとうはこっちのセリフだから。じゃあまた後で」 ーー  その後、芸術家の彼は前回の受賞作に”僕”そっくりな男性一人を追加した『幸せな家族』という作品で世界中に名を馳せることになる。  僕がその事実を知ることは無かったけれど。 <終>
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