じめじめ

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 ノブヤは町の天神神社の神主である。仕事は建築現場のお祓いや結婚式の執行役などだ。  社務所の軒下にお気に入りの私服のシャツが干してあった。黒のTシャツである。  今日はひまなので町へ出て映画でも観ようとおもっていた。しかし、さっそく取り込んだシャツに腕を通したノブヤは、あわてて脱いでしまった。  生乾きだった。 「昨日からずっと干してあったのに、なんで乾いてないのだ?」 見上げると、屋根の上の空は曇り空である。雲が鬱々と重苦しく垂れこめていた。  そういえば桜もとっくに散っていた。いつのまにか梅雨へ入っていたのだ。あたりの空気は湿気がこもってじっとりしている。 「ひどく陰気くさい空模様だな」  生乾きだったシャツの冷たさが、首の後ろに染みるように残っていた。  そのとき、大きな爆発音が町のほうから聞こえた。木立の向こうに黒い煙が上がっている。 「たいへんだ。何があったのだ」   境内から駆け出して行くと、町の人々が悲鳴を上げて逃げ回っていた。 「火事か? それともガソリンスタンドに車が突っ込んだのか?」  通りに立ってそんなことを考えていると、道向かいの郵便局がこっぱみじんに吹き飛んだ。  空から導火線に火のついた爆弾が次々にとんできていた。南瓜くらいの黒い球体だ。 「みんな壊れて無くなってしまえ!」  声がしたほうを見ると、何者かがビルの屋上で叫んでいた。  真ん中に毛がないキノコのような髪型。とび出たくちばし。カエルのようなツルツルの皮膚。これは河童にちがいない。  河童は両手に爆弾をつかみ、怒りに震えたようすで屋上にいた。 「何をしているんだ。よせ、危ないだろう」  ノブヤが注意すると、河童ははげしく涙を散らして怒鳴った。 「うるせえや。みんな大嫌いだ、この世界なんて壊れてしまえばいいんだ!」 「おまえ、この社会に何か不満があるのか?」 「あるよ! 自販機でコーヒー買おうとしたら緑茶が出て来るし、ダイエット 食品ぜんぜん効き目ないし、疲れているのに夜勤させるし、違反切符切られたの忘れてたらバイト代差し押さえられるし、いいことないよ。この世界には嫌なことばかりだよ!」 「それでだけのことで、街を破壊しようというのか。やりすぎだろ。だいたいお前、考え方がひどくマイナスの方向じゃないか? 緑茶だっておいしいじゃん、健康に良くてラッキーだったかも?」 「そんなこといってヘンになぐさめんなよ。よけい腹立つんだよ!」  逆上した河童は無茶苦茶に爆弾を投げ落としてきた。 「やめろって言ってるだろ」  降り注ぐ爆弾を避けながら、ノブヤはビルの非常階段を御幣をなびかせて駆け上った。御幣とはお祓いの道具で棒の先に細い白紙の束を結んだものだ。 「うるせえうるせえ、みんな壊れちゃえ、無くなっちゃえ~~~~~!!」  河童はいきりたっている。  屋上に着いたノブヤはそのまま空中へジャンプすると御幣を左右に振って、河童をお祓いした。  御幣の神力に打たれた河童は、目を白黒させて悲鳴を上げた。 「ポジティブ思考になって戻って来いよ」  ノブヤの御幣が差す空のかなたへ、河童は吸い込まれるように細い悲鳴を残して消えて行った。  河童が消えたあとに、スーツ姿の中年男が倒れていた。  どこにでもいるような男だった。とくにこれといった特徴のない。駅や大通りですれ違ってもまったく記憶に残らないようなタイプの人間である。 「あ、ありがとうございました!」  男はあらたまって何度も頭を下げた。  この男が河童に憑りつかれ、姿を河童に変えて爆弾を投げまくっていたのである。 「なんだって河童にとりつかれてしまったのだ。よほど精神が参っていなければ河童のような妖怪に乗り移られるはずはないのだが」 「それは……」  悄然と青ざめた男のひたいには濡れた前髪がべっとりと垂れさがっていた。  翌日の新聞に爆弾事件が大々的に報じられていた。そして、犯人として男の写真が載っていた。 「捕まっちゃったのか。しかたあるまい。世間は河童がどうしたなんて言っても信じるはずがないからな。かわいそうに」  男に同情しながら記事を読んでいたノブヤの眉がぐいと上がった。 『自白によれば、三年つきあったカノ女にフラれたショックで自分が自分でなくなったと供述……』 「失恋? あほか」  失笑して新聞から目を上げた。「女にフラれたくらいで情けない話だ」 ノブヤは笑ったが、それはかれが恋をしたことがないからである。  外は梅雨の雨がしょぼしょぼと降りつづけていた。シャツはまだ湿ったまま、あの男の前髪のように軒下の物干し竿に垂れている。
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