第六章 唯の身体に刻まれた、数えきれないほどの苦痛

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「どんなに辛くても、なにも感じないようにして、誤魔化すほかなかった。オレがやったのは、ただの時間稼ぎ。感情に振り回されないようにしただけだ」  唯は淡々とした口調で言った。 「なにも感じなくなるまで、ずっと辛かったんじゃないですか? 感じなくなったからと言って、辛さが軽くなったわけではないでしょうに! むしろそんな真似をしたから、余計に辛さが増したんじゃないんですか?」  伊織は感情を爆発させた。 「……オレにはそうする以外の方法を、知らなかった。オレがどうなろうがどうでもよかったんだ」  唯は困った顔をしながら言った。 「辛いことが当たり前になって、普通になってしまったんじゃないんですか?」  伊織が泣きながら尋ねた。 「おそらく、そうなんだろうさ」 「どうして、動じたりしないんですか! なんで、冷静に受け止めているんですか!」  伊織が泣き叫んだ。 「オレは感情を捨てるときに、冷静で冷酷無慈悲な、もう一人の自分を、心の中に作り上げた」  唯は溜息混じりに言った。 「もう一人の自分……?」  伊織が首をかしげた。 「そうだ。どんなに辛く、苦しくとも、一切他人事だと思うことにした。自分のこととして考えれば、動じるだろうし、冷静に見れなくなる。それを避けるためだ」 「それ、自分のことではないって拒絶したってことですよ。なくてもいい壁を、あなたは作ってしまったんですか!」  伊織が怒りをあらわにした。 「なくてもいい壁……。そうかもしれないな」  唯は自嘲するように笑った。 「とても、遣る瀬無い笑みですね。それがどれほど辛いことだったのか、なんとなく分かります」  泣きながら伊織が言った。 「誤魔化しがきかない、ということか」 「そうかもしれませんね。いい機会なので、全部話してください」 「この身も心も、代償として差し出さなければならない道を歩いている。それから、逃れたいとは思わない」  唯は溜息を吐いた。
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