最果てのガラス瓶

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 エレベータからすぐのところには、液体窒素の凍結保存容器が並んでいる。  中で眠る、代謝し自己増殖する有機物たち。無機質な印刷ラベルの黒い字が、その名前を囁く。  シアノバクテリア……コウジカビ……ボルボックス……プラナリア……。チョウザメの精子と卵子……モリアオガエル……アデリーペンギン……チンパンジー……ヒトの精子と卵子……。  フィリップが、ため息をついた。 「半分、集まりましたかね」  ラーシュが、ため息をついた。 「まだ、一割も集まってない」 「先は長いですねえ。……あ、この棚です」 「これだな」  ラーシュが高い棚に両腕を伸ばし、工具入れのようなチタン製の箱を取り出す。フィリップが蓋を開け、その中にバイアル瓶をそっと入れた。  ラーシュはポンポンと箱を叩いた。 「おやすみ。いつか地上が焼け野原になったら、迎えに来るからな」 「そう、迎えに……」トンネルにフィリップのくしゃみが響いた。「……ックショイ!」 「大丈夫か?」 「ああ……すみません。……この唾液も保存されて、僕も復活しますかね」  髭の下で、ラーシュの口の端が上がった。「だと、いいな」  二人は鼠のようにトンネルを行きつ戻りつして、クーラーボックスのバイアル瓶を減らしていった。  やがて空になったクーラーボックスを子どものように大きく振り回しながら、フィリップが口を開いた。 「ひとつ質問があるんです、博士。聞いてもいいですか」 「まともな質問だろうな」 「たぶん。地上が焼け野原になったら、ここに保存されている生物を復活させるんですよね? 科学者総出で」 「そうだよ。それがどうした」  フィリップは、できるだけ言い方が明るく聞こえるよう、工夫した。 「もし……もしも全滅したら、誰がここに来て『オープン・セサミ(開け、ゴマ)』を言うんです?」 「なんだ、知らないのか?」ラーシュは声の調子を上げた。「いろんな国で、開発中だよ。大丈夫なように、自動で解凍して、培養して、再生する装置を」 「一番早くて、それはいつ頃に完成を?」 「それは……」  ふいに、ラーシュを奇妙な感覚が襲った。ふつふつと鳥肌が立つ。  ――聞いている。  彼は肩をすくめたり、首を回したりした。けれどその感覚は、消えない。  ――聞いている。背後の、何万種もの生物が耳をそばだて、聞いている。私がこれから何を言うのか、を。これから自分たちがどうなるのか、を。
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