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僕の考えはこうだった。
一九〇〇年代の初頭、荒野泰造は自分の幼い娘、桐絵が感染性の病気にかかっていることを知った。
感染症ゆえの隔離、それから物理的な危害、地震や火事から娘を守るため、さらにいえば恐らく世間の好奇の目を避けるために、鉄板を壁に埋め込んだ特注のお屋敷を建て、親子は移り住んだ。
だが、おそらく三十年ほどで娘の桐絵は病気にて死亡。お屋敷の気密性の高さと日光、外気の遮断、および地理条件による低温、湿潤により死体は屍蝋となり、死んだ時の状態そのままの姿で、今まで残ってきた。
そう僕が自分の推理を話し終えると、真子がスッと手をあげた。
「……いくつか聞いてもいいかしら」
「どうぞ」
「死体が消えたのは、その屍蝋現象と関係あるの?」
「うん。そもそも屍蝋は特定の条件が絶妙のタイミングで合致して、はじめて成り立つ、非常にデリケートな現象なんだ」
「……」
「でも、あの日、僕達がドアを開けて中に入ったことで、その絶妙なバランスが崩れてしまった。外気が入ったことで、一気に死体の風化が進んで塵になってしまったんだ。僕達がキッチンの窓から脱出した後にね」
「なるほどな」
ダイがおもむろに口を開いた。
「じゃあ、あの後来た警察がもっと念入りに調査していたら、ゴミやホコリに混じって畳に落ちている有機物の欠片が、風化した死体の一部だって気づいたわけか」
「たぶんね」
「あの時、ドアが開かなくなったのも、二度目に見た時、死体の位置が微妙に動いていたのも、外気の流入のせいって言いたいの?」
真子の少し皮肉な視線にとまどっていると、水菜が代わりに答えてくれた。
「ありえると思うわ。木ってちょっとしたことで、それこそ気圧の変化なんかで膨張したり縮んだりするものよ。それに私達が走ったことによる、振動も死体の位置が動いたことに関係してるかも」
「もう一つ、いい?」
水菜の答えに目で礼をしてから、真子が聞いてきた。
「一九〇〇年代の初頭に建てられたあのお屋敷に、幼い頃に住みはじめた娘の桐絵が仮に三十代になるまでいたとしても、その後一九五〇年くらいまで人が住んでた気配があったのよね? それは誰だったの?」
「たぶん泰造本人じゃないかな? なかなか朽ちていかない娘の死体を不審に思い、戦中、戦後の動乱もあって人に言えないまま時間が経ったんだと思う」
「彼はあのお屋敷の外で死んだってことになるわよ」
そう聞いたのは水菜だ。
「だってお屋敷の窓は全部閉まってたし、彼の死体らしきものはどこにもなかったし」
「ひょっとしたら事故死か何かもな」
ダイが続けた。
「娘の死体をそのままにしていったのが証拠だ。ちょっとした外出のつもりが、そのまま出先で帰らぬ人となり、お屋敷はそのままほっとかれたってわけだ」
僕は頷いたが、実は泰造はどこかで自殺したのではないかと考えていた。
娘の死にくわえて、その死体が朽ちないという不可思議な現象だけでも十分ストレスだったろうに、世界大戦の余波による経済的損失、食料不足、自殺の要因になりそうなものは幾らでもある。
実際、あのお屋敷に家具がほとんどなかったのは、お金に困った泰造が売ってしまったと考えるのが、やはり自然だろう。
高価な、それも娘の名前にもかかる桐の文書机を残したのは、泰造の最後のプライドだった気がするのだ。
だがそれを言う気はなかった。
あの日公民館で話したことは僕たちだけの秘密だった。というよりも、もはや僕達の声に耳を傾ける人は誰もいなかった。
学校でも、何かが変わった。その変わり方はは余りにも突然だったので正直ドッキリ番組かなにかと思ったほどだった。
友達の輪に入って会話しようとすると、なぜかみんなスイッチを切ったかのように黙ってしまうのだ。
そして僕がいなくなると、今度は楽しそうな会話が始まりだす。
誰もが僕の、いや僕達の行動をじっとうかがっていた。
大人達から受けた誹謗中傷の嵐は、自分達でも予想しなかったほどに、僕達と家族の身体と心を傷つけた。
真子はその後少しずつ学校に来なくなり、仕事もなくなった。最後に学校で会った時、真子の目には世界中の全てを敵に回しているような、強い光が一条あった。ちなみにお兄さんはといえば、その後、進学も就職も順調に進んだと風のうわさで聞いた。
水菜は私立の小学校へと転校した。もうすぐ卒業だというのにひっそりと。僕達にだけ、別れの言葉を綴った絵葉書をくれた。
ダイはまた、海外へと引っ越した。ダイのお母さんである敬子さんが、わざわざ家に来て僕に散々恨み言を言っていった時、ダイが泣きながらその手を引きずって家に連れ帰った光景は死ぬまで忘れないだろう。
僕?
僕はミステリー小説だけを友達に生きていくことにしたよ。
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