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チェックメイト
山本大と仕事などしたこともないし、そもそも面識すらない。ネットで少々情報を探れば、あの程度の情報はすぐに分かる。
私が広げている新聞記事には、他にも引きこもりの元人気アイドルの十五年ぶりの銀幕復帰作と、元引きこもりの新気鋭のミステリー作家による受賞について書かれている。
おっと。気をつけなければ。
ちょうど大と水菜がカフェを出て、空港の搭乗口へと向かうところだった。
私は新聞を大きく広げて、テーブルの向かいで震えている情けない男の存在に気づかれないよう覆った。
真相は大人になった彼らが推理したとおりだ。
私が感染力の高い特殊な結核にかかっていると知った父が、あの屋敷を建てた。壁の中に鉄板をはめ込んだあの屋敷を。
父は貿易商としてかなりのやり手ではあったが、戦争の前では無力だった。
会社の破産により父が自殺したあと、残された家具(母からの贈り物である桐の文書机はさすがにそのままにしておいたが)や本を、数少ない信用のおける使用人を通して売りさばきながら、私はほそぼそと食いつないでいた
私の身体にある変化が起きるまでは。
少ない食料、少ない酸素、運動量の減少、低温、日光の減少……
新陳代謝は低下していく一方だった。
汗はかかず、髪も伸びず、身体の中の結核菌も宿主の体力の低下に伴い減少していった……
そしてついに私の肉体は老化を停止した。
少なくとも外見的には、年をとらなくなったのだ。
かつてストレスから死刑執行の直前、一夜にして老婆のような白髪になった若い女王や、洞窟に閉じ込められた少年が、そのストレスと食料の少なさから肉体的な成長を止めてしまった事例があると聞く。
おそらく、私の肉体に起きたのも同種の変化だったのだろう。
彼らが見たのは私そっくりの蝋人形だった。
海外の情勢に詳しかった父は、有名人に似た蝋人形を作らせることが外国で流行っていることを知り、実際に私をモデルにした蝋人形を作らせたのだ。
戦後十五年ほど経って、社会が安定し、私のことを知る人間達が死にたえると、屋敷を出て世界中を飛び回ることにした。
無限の若さと、圧倒的な美しさ。
この二つがあれば、大抵のことは思い通りになる。
フィジーは架空の会社を創る上で最適の場所だ。余計な詮索をされないよう、屋敷は会社名義のものとした。
ただし実際の管理は、かつて雇っていた使用人の娘家族にまかせていた。
だから彼らが屋敷の庭はともかく、屋敷の内部の管理について、完全に放置していたのには少々面食らった。
「まあ、それについて彼らを責める気はないわよ」
私は向かいに座る男に話しかけた。名前を石刈達也という。真子の兄だった。
「あの辺りの住人に対する差別、偏見、いじめは私の想像以上だった」
新たな土地に出て仕事を見つけられたものはまだいい。職業差別や婚約不履行、様々な嫌がらせに耐えきれず、精神を病んだり自ら命を断った者もいたのだ。人手は余っておらず、無人の屋敷の世話など、時とともに忘れさられていったのだろう。
「まして自分達の子供が、クラスでいじめられていたとあってはね。屋敷の掃除どころじゃないわ」
まさにそのいじめの首謀者であった石刈達也が、びくりと身体を震わせる。
「どうやらあなたの妹さん達は、あなたがいじめの被害者なんじゃないかと心配してたみたいだけど、事実は全くの逆ね」
実際にはこの男、石刈達也こそいじめの首謀者だった。
「見かねたクラスメイトの一人が市の教育委員会に手紙を送ったって聞いたけど、そうなの?」
達也は答えない。黙ったまま、うつむいて震えている。皮肉な話だ。この男のいじめが、間接的に屋敷の内部を荒れるがままにし、その結果、彼の妹とお仲間の愉快な探偵団はつらい悪夢に悩まされることになったのだから。
もっとも彼らに同情する気はない。そんな暇もない。
だがこの眼前の男をこのまま見過ごすつもりもない。
「ある意味、自分のせいで妹さんが不幸になったっていうのに、平気な顔で暮らしていたんだから大した男ね、あなたも」
私はぐっと身を乗り出した。薄手のセーターの襟元から覗く完璧な鎖骨のラインに、達也の視線が集中するのが分かる。
「でも、今の彼らがこのことを知ったらどう思うかしら?」
新気鋭の国際的なM&AビジネスのCEOの息子。その未来の妻、ビジネスウーマン。デビュー作がいきなり大賞を受賞し国際的に話題の若手作家。アジアやヨーロッパ、さらにはアメリカでも最高評価の映画に主演した元人気アイドルの女優。
「彼らはもう、子供じゃない。大人なのよ。彼ら自身、たくさんお金をもってるし、発信力や知名度もある。彼らの周りにいる連中はもっとよ。そんな奴らが、あなたのせいで青春時代を無駄にしたと知ったら、どんな行動にでるかしら?」
「な、何でも言うことききます。だから、黙っててください。妹には言わないで。お、お願い」
「何でも?」
こくこくと頷く石刈達也を見ながら、私はニンマリと笑った。
無限の若さと圧倒的な美しさがあれば大抵のことは思い通りになるが、そうならないこともある。最近、SNS上に私に関する噂(不老不死の絶世の美女に関する都市伝説めいたもの)がのぼり始めている。今まで以上に慎重に行動する必要がある。同時に私の代わりに手足となって動く忠実な下僕が必要だ。ましてこの男は、これから人気爆発(再燃というべきかしら?)間違いなしの女優の兄なのだ。カネとコネに関して、いくらでも利用できる。
これこそ、あの山本大を焚き付けた本当の理由なのだ。
「少年少女探偵団の諸君、まだまだ寝かせないわよ。この荒野桐絵がね」
石刈達也の引きつった顔に、私は優しくウインクをした。優雅で茶目っ気のあるウインクを。
Fin
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