復活の呪文

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「アブラカタブラ~ゴニョニョ~ゴニョニョ~ハイ」  復活の呪文を唱えた私は「ほらよ」と言って熱心に私の手元を見詰める子供にラジコンカーを渡してやった。 子供は早速ラジコンカーを地面に置いて走らせる。子供の顔が見る見る上気し嬉しそうな表情になる。この瞬間が一番好きだ、この顔を見る為にここにいると言ってもいい。 ここは私の工房だ、ラジコンカーやミニ四駆を修理する。直ったかどうかを確かめる為のテストコースも併設してある。 おもちゃメーカーに長く勤めていた私が定年後に子供達の為に作り、ボランティアで無料で直している、幸い手先が器用で大抵の故障は直すことができる。 子供が少ない小遣いで買ったラジコンやミニ四駆だ、動かなくなったら悲しいだろう、直せる技術があるなら直してやらないとな。 「おじさん、直ってる」  別の子供が声を掛けてくる。 「おお、直っているぞ」  修理に時間のかかる故障は一旦預かって修理する、確かこの子のはと、あったあったこのミニ四駆だったな。 「おじさん」 「なんだ」 「さっきの復活の呪文だけどさ、あれいらないよね、唱えなくても走るよね」  修理が終わり、渡すときに必ず復活の呪文と称して「アブラ……」と唱えている。何となく始めた習慣だが、楽しみにしている子供もいるし、修理が終わった区切りとして唱えるようにしている、子供達には唱えないと動かないと言ってあるが、時々信用せすにこんな質問をしてくる子がいる。 「うん、じゃあ、この修理が終わったはずのミニ四駆、唱えずに渡すからスイッチ入れてみな」  私は質問をしてきた子供にミニ四駆を渡した。子供はスイッチを入れる、本来モーターの駆動音と共にタイヤが回り出すのだがうんともすんとも言わない。 「これ、直ってないよ」 「貸しな、呪文を唱えてやる」  私はミニ四駆を受け取り、両手で包むように持って復活の呪文を唱え子供に返した。今度はモーターが元気に回り出し、コースをかっとんでゆく。 「凄いや、どうやったの」  子供がびっくりした様子で私を見る。 「だから、復活の呪文はいるんだよ」  私の答えに子供は感心した表情を浮かべたが、すぐにミニ四駆に夢中になりだした。  復活の呪文で直ったなんて当然嘘だ、最初わざと配線の一部を外して置き、ミニ四駆を両手で包み込み、呪文を唱えながら配線を繋いだだけだ。 「もう遅いぞ、みんな帰んな」  日が暮れてきたので、遊んでいた子供達を帰らせ、私も道具を片付けて工房を閉めようとした時だ、残照の中黒ずくめの影がこちらに向かって歩いてきた。 「失礼、どんな車でも直してくれる呪文使いの修理屋さんはこちらかな」  黒いロングコートのフードを目深におろし、黒いマスクをした影が声を掛けてきた、顔はほとんど見えなくて表情はうかがえない、それどころか性別すら分からない。背は高いが猫背だ、コートの裾からのぞく靴も真っ黒、漆黒で艶が無い生地で仕立てられたコートだが、布の奥に緋色が隠れているようで、見詰めていると闇に吸い込まれそうになる。  声は壮年のようでも、老人のようでもあり、薄気味悪い声音だ。 「子供相手のオモチャの車修理屋ですよ、お金は頂きませんがね、本物の車の修理なら車屋さんに行ってください」 「まあ、そう言わずにこれを見てくれんかな」  影はコートのポケットから何かを取り出して作業机の上に置いた。裾から見える手にも黒い手袋をしている。  机の上に全長三十センチほどの模型自動車がある、とても古いモデル、おそらくT型フォードと呼ばれるアメリカフォード社が千九百年代初頭に量産したモデルだ、目の前の模型はボディから屋根、タイヤに至るまですべて真っ黒に塗られ、後部が長い荷物を載せられるように延長されていて運転席以外の窓が全部真っ黒に塗りつぶされていた。 「触っても」  私の質問に「もちろん」と影が答える。  私は作業用の老眼鏡と拡大ルーペを掛け、作業手袋をはめると、机に作り付けのライトを点けると模型を取り上げた。 「良く出来ていますねえ」  三十分ほどいじった私はため息とともに言い、模型を机の上に戻した。  模型は細部に至るまで本物そっくりに作られていた。エンジンからギアボックス、サスペンション、ドアのヒンジに至るまで全て本物をそのまま縮小したとしか思えない出来だ。全てが黒かったが荷台の床にわずかな赤い汚れが付いていた。 「でも、どこも壊れているように見えませんが」  私の質問に「ああ、地面置いて手をかざし復活の呪文を唱えてくれるだけでいい」と影が答える。 「それだけでいいんですか」 「頼むよ。それから、呪文を唱えたらすぐに車から離れてくれ」 「まあ、その程度の事でしたら」  私は影の言う通り模型を地面に置くと手をかざして呪文を唱えすぐに離れた。その途端模型を中心に辺り一面白い煙に覆われ目の前が何も見えなくなる、パニックになりかけたが「大丈夫、すぐに消える」と影の声が聞こえ、すぐに煙は収まった。 「これは」  目の前に本物のT型フォードが停まっている。さっきまで私の手の中にあった模型と寸分たがわぬ姿だが、大きさだけが違う。  大きくなって気が付いたのだがこれは霊柩車だ。車体後部に棺桶を入れられるようになっているんだ。じゃあ、あの床の汚れは。 「あの、あなたはいったい」  私の問いかけに影は「自己紹介が遅れたね、私は死神だよ、この車は死者を運ぶ車さ」と答えた。 死神ってなんだよ、でも、そんな雰囲気はするなあ、いきなり模型が本物になったし本物の死神かな。 「動くかどうか確認させてもらうよ」 死神を名乗る影はそう言って車に乗り込んだ。 何もしていないんだから、直ってないと文句付けられても知らないぞ。でも死神だから、直ってないと私の事をいきなり殺すんじゃないだろうな、と思ったが、無事にエンジンがかかり、車は走り出した。 「いやあ、ありがとう、無事に機嫌を直したみたいだ、あなたの復活の呪文はよく効くね」  その辺を一周して帰ってきた影は車から降りると、上機嫌な口調で言い、饒舌に言葉を続けた。 「普段は馬車で運ぶんだけどね、第一次世界大戦の時、同時にスペイン風邪が流行って死者が沢山出たものだから、一度に沢山運べるようこの自動車を導入したんだよ、第二次世界大戦の時も活躍したなあ。その後比較的平穏な時期が続いたので、使わずに車庫に入れっぱなしにしていたら車の奴すねたのか、小さくなって、うんともすんとも動かなくなってね、どこの車屋に行ってもオモチャは直せませんと言われるし、オモチャ屋に行ったら、どこも壊れていないって言われるしさあ、困り果てていたらここの事を聞いてね。それで持ってきたんだ。いやあ本当に助かったよ」  まさか私の呪文にこんな力があったとは。 「それは、また車を使うと言う事ですか」  私の問いかけに影は「そうだよ」と何故か軽い調子で答える。 「もしかして新型コロナの死者を運ぶためですか」  重ねて問う私に「はは、まさか、コロナ程度なら馬車で十分、あんなの比べ物にならないような事が近々起こるからね。それで車がいるんだ。人間っていつまで経っても本当に馬鹿だよねえ、喉元過ぎればすぐに忘れるんだから、ま、そのおかげでこちらは繁盛するからねえ」影はそう言い「そうそう、直してくれたお礼に寿命を十年ほど延ばしてあげようか」と聞いてきた。 いきなりの事に答えに窮し黙っていたら「あ、そうか、寿命を延ばしても、この先の事を考えたら使い切れないな。そうだ、五十肩と腰痛と老眼と初期の白内障を治してやろう」と言うので、少し考え「出来れば膝痛と頻尿も治して下さい」と答える。 影は笑って「欲張りだな、いいぞ、どうせ長くないんだから」と言い、コートのポケットから手を出すと私の目元、肩、腰、股間、膝を順番に触っていった。 「うわ、体が軽い、目が良く見える、どこも痛くない、まるで新しく生まれ変わったみたいだ」  この力のほうが私の呪文よりよっぽど凄いと思うな。 「大げさだな、まあその体で子供の為に精々オモチャを治してやりなよ、じゃあ世話になった、ありがとうよ」  影は車に乗り込み走り去った。  もうすぐコロナなんか比べ物にならない災厄が人間を襲うのか、あの口ぶりだと人間が原因らしい。私の復活の呪文で何とかなるレベルの話じゃなさそうだなあ。  私は作業場を見渡し、子供達から預かっているラジコンやミニ四駆を眺めた。私はまあ、いい歳だし諦めるとしても、これを受け取る子供達はこの先どうなるんだろう、ひどい事にならなければいいけど。と一人呟き、今度こそ照明を消して工房を後にした。
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