1.鈴という少女

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1.鈴という少女

 肩に乗る子狐の頭を撫でた鈴は、瞬時に付喪神本来の姿から火廣の姿へと変化した緋を見上げた。   「緋さんはこれからどうするの?」 「引継ぎとやらを受けてから戻る。残念だが、隷属の鎖で縛られている以上、俺はお前の側から離れられないからな。風に妖気が混じってきている。面倒事に巻き込まれぬよう、早く寮へ戻れ」 「はいはい。お仕事頑張ってくださいね。火廣先生、さようなら」  付喪神と隷属関係になったのは自分のせいではないと思いつつ、鈴は言葉を飲み込む。  反論しようものならば、緋からの説教が長くなることをこの一か月間で学んだ。 頭を下げた鈴はくるりと背を向けて、昇降口を目指して歩き出した。    昇降口を抜け校舎から出て、ようやく背中に感じていた緋の圧が無くなると、黙り込んでいた子狐がぷはーと息を吐き出した。 『はぁー、ヒヒイロが鈴を早く外に連れて行けって睨んでくるから怖かった』 「もう大丈夫でしょう?」 苦笑いした鈴は耳と尻尾を下げる子狐の頬を撫でる。 『ねぇ、鈴はヒヒイロのことが嫌いになったの?』 「別に嫌いじゃないよ」 『じゃあ、何故怒った顔をしている?』 「怒った顔をしていた?」  子狐に問われるまで、そんな顔をしていたと気付いていなかった鈴はキョトンとし、数回目を瞬かせる。 「いつも勝手に物事を決めるし強引だし、何も言ってくれないで教師になっていたし、何かモヤモヤしただけ。まぁ、最初から強引だったし、仕方ないけどね」 『きゅう?』  首を傾げた子狐の頭を撫で、鈴は通学鞄の持ち手を握り締める。   (緋さんは最初から強引だったし、最悪の出会いだったのよね)  たった二月前の出来事なのに、付喪神との出会いがずっと前の事のように感じて、鈴は目を細めた。    ✱✱✱  幼い頃に父親を亡くした鈴は、母親と二人で寄り添って下町の借家で生活をしていた。  十五歳になってすぐに、母が病に倒れるまでは貧しくとも穏やかな生活が続くと思っていた。  倒れてから意識が戻らぬまま母親は無くなり、一人になった鈴は悲しみと共に今後の生活をどうするかと途方に暮れる。  知人に頼みこみ奉公先を探していた鈴の前に現れたのは、多くの事業を手掛けている名家、高梨家の使いの者だった。  大した説明も無いまま、使いの者に半ば強引に連れて行かれたのは高梨家本邸。  そこで待っていたのは、母親の兄だという高梨家当主代行の高梨章宏と彼の妻、波津子だった。   「この子が美幸の娘か?」  広い部屋の中央、座布団も敷かれていない畳の上に正座をする鈴に近付き、章宏は無遠慮に顔を覗き込む。 「確かに、美幸の面影はあるな。庭師の男と駆け落ちして病気にかかって死んだ上に、役に立ちそうもない娘を押し付けるとは迷惑な話だ」  使いの者のよそよそしい態度から歓迎はされていないと推測していたが、初対面の章宏から吐き捨てるように言われ怒りで鈴の体が震えた。 「いいか。お前の母親は政府高官へ嫁ぐ予定だったのに、庭師の男と駆け落ちをしたんだ。育てて貰った恩を忘れ、親父と私の顔に泥を塗った。死んだとしても許されるものではない。よって、お前を高梨家の血筋とは認めない。居候以下として離れには置いてやるが、絶対に母屋へは近付くな」  章宏の言葉を合図に鈴の周りを使用人が取り囲み、呆然としている彼女の腕を掴んで立ち上がらせた。  使用人達は引き摺るように鈴を室外へ連れて行き、裸足のまま母屋の外、数年は使われていなかっただろう老朽化した離れの建物へ押し込んだ。    母親と暮らしていた借家から何も荷物を持って来れず、着の身着のまま高梨家へ連れて行かれた鈴に与えられたのは、使用人用の着物と最低限の生活用品だけ。  洗濯は離れの側にある井戸から水を汲み自分で行い、食事は母屋の使用人用勝手口まで行き頭を下げて受け取らなければならない。 「……お母さん、私、帰りたいよ」  唯一、懐に入れて持ち出せた母親の形見の玉の付いた首飾りを胸に抱き、灯りは古い提灯のみの薄暗い部屋で身を縮めて涙を流していた。
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