2.祀られていた刀

2/2

38人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ
 刀身から噴き出した赤黒い霧は一気に鈴の全身を覆いつくした。  視界が真っ赤に染まる恐怖で、鈴は手足を振り回してもがく。 “血を、もっと、血を……”  地の底から響くような低い男の声が頭の中に響き、鈴は声にならない悲鳴を上げた。  赤黒い霧は鈴の悲鳴をも飲み込み、人差し指先へ見えない舌を伸ばし傷口から滴る血を舐め取る。 “高梨、盟約を忘れたか!”  怒りの感情をぶつけてくる恐ろしい何者かの声。  体中にまとわりつく霧から逃れようと、鈴は手と首を左右に振った。 「そんなの知らない! 私は高梨家の者じゃない!」  駆け落ちして勘当された卑しい娘の子だと言われ、伯父達からは高梨家の血筋だと認められてもいないのだ。  自分達にとって都合のいい時だけ高梨家の者扱いをしないでもらいたい。  叫んで助けを求めても、心の奥で無駄だと諦めの感情が生じる。  此処には同情してくれる者はいても、自分の身を挺して守ってくれる者はいないのだから。 「助けてお母さんっ!」  胸元へ手を伸ばし、涙を流して亡き母に助けを求めていた。   パリィーン!  手を当てた胸元が熱くなり、硝子が砕け散る音が響く。 “ぐっ、これは!?”  驚愕の声が耳元で聞こえ、霧の動きが止まる。  部屋中を覆いつくしていた赤黒い霧は、契れた注連縄の中央に置かれている刀に吸い込まれていった。    つい数秒前の出来事が夢か幻だったかのように、静まり返る室内に鈴の荒い呼吸だけが聞こえる。  両脚から力が抜けていき、よろめいた鈴は側にある柱に掴まった。 「うう、何だったの?」  掴まっている柱が纏う布地を握る指に力を込めて、ハッと鈴は顔を上げた。  小部屋の中央に掴まれる柱などあっただろうか。  そもそも、柱にしては掴んでいるコレは柔い上に、布地を纏っているのはどういうことか。  動きを停止させた鈴の顔から血の気が引き、嫌な予感で背筋が寒くなっていく。 「ちっ」  頭の上から盛大な舌打ちが聞こえても、鈴は顔を動かして自分の横を確認することは出来なかった。 「おのれ、高梨の者め。隷属の鎖など用意しおって。小娘の血に呪いを混ぜ込み、俺を縛るとは」  低音の男の声は霧の中で聞こえてきた声と同じだった。  浅い呼吸を繰り返す鈴の額から頬にかけて、冷たい汗が流れ落ちる。 「小娘、聞こえているだろう」 「ぎゃああっ!」  肩を掴まれて無理矢理横を向かされ、鈴は大きく目と口を開いて絶叫した。  鈴の視界を覆う銀糸の煌めきと、対照的な鮮やかな深紅色に一瞬だけ目を奪われる。  隣に居たのはもちろん柱ではなく、長い銀髪を後頭部で括り黒色の着流しの上から派手な羽織を羽織った、異様な雰囲気を纏う若い男。 「っ、やかましい」 「いやぁー!」  柱と間違って二の腕を掴んでいた背の高い男は煩そうに顔を歪め、鈴の口を塞ごうと口元へ手を伸ばした。  バチッ!  見えない壁が男の手を弾き、無数の火花が飛び散る。 「な、何?」  火花は鈴には届かず、男は自身の手を見て舌打ちした。 「やはり血を受けた以上、害せぬか」  シャラリ……  男が手首を軽く振ると軽い金属音が聞こえた。 「聞け、小娘。お前に幸魂(さきみたま)を授けた者が俺に呪いをかけたのだ。ヒヒイロカネの付喪神と畏れられたこの俺に」  唇の端から犬歯を覗かせ苛立ちを露わにした男は、吐き捨てるように言い放った。 「れいぞく? あの、おっしゃっていることはよく分かりませんが、貴方は、その、どなたですか?」  男が掴んで離してくれない肩に指が食い込み、痛みと恐怖で鈴の目に涙の膜が張っていく。 「高梨の者のくせに何も知らぬのか」  まるで探るように、鈴を見下してくる男からの問い。  震える唇をきつく結び、素直に鈴は頷いた。 「成る程。真に知らぬようだな。何も知らぬ者を寄越すとは章政め、何を考えておるのだ」  口元に手を当てて暫時思案した後、目を細めた男は口角を上げた。 「俺は長きにわたり盟約と高梨の血に縛られていた、ヒヒイロカネを紅蓮の焔で鍛えた刀よ。人は俺のことを紅蓮緋廣金刀と呼んでいたな」 「はぁ? 刀?」  真っ当な答えではないだろうと思っていたが、想定外の答えを聞き理解するよりも早く、鈴の口から素っ頓狂な声が出た。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

38人が本棚に入れています
本棚に追加