3.あやかし

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 ガラリ!  離れの出入り口の戸に指をかける前に勢いよく戸は開き、戸を開けようと手を伸ばした状態のまま鈴は停止した。 「お嬢―! 無事だったかー!」  部屋の奥から大きな足音を立ててやって来たソレは、唖然とする鈴目掛けて土間へと飛び降りた。 「お嬢―! 彼奴等に嫌なことされなかったかー?」 「ひっ」  千切れんばかりに尻尾を振って、青銅色の犬のような形をしたソレは鈴の足元に顔を擦り付けた甘える。  犬もどきに遅れて、部屋の奥からドタンドタンという騒々しい音を立てて土間へとやって来たモノを目にして、鈴の目は更に大きく見開かれた。 「あれ? ヒヒイロ様も一緒だよー?」 「彼奴等が言っていたのはやっぱり例の蔵だったのね。お嬢? どうしました?」  浮遊する掛け軸に描かれた天女が浮き上がり、青白い顔で唇を震わせる鈴の頬を撫でた。 「ひぃいっ! 茶釜と掛け軸と壺が動いて喋ってるぅ! ぎゃああっ!?」  掛け軸の天女の手から逃れようと、背後へ飛び上がった鈴の足は縺れて後ろ向きに倒れていく。 「この程度で失神するとは。高梨の血を持つ者とは思えん」  呆れた口調で言う男の腕が伸び、後ろへ傾ぐ鈴の体を抱き留める。  反論しようにも、奇想天外出来事が続いたため疲弊した鈴の心は限界を訴えていた。  情報を処置し整理整頓する能力は、刀男の情報だけでも処理しきれていないのに追加された情報に悲鳴を上げている。  限界を超えた頭ではもう意識を保っていられず、鈴は目蓋を閉じた。    気絶していたのはほんの数分のこと。  刀男に抱えられて離れの部屋へ戻った鈴は、目の前で繰り広げられる茶釜と壺によるよく分からない寸言を眺めながら、これは夢ではなく現実なのかと自分の頬を抓って確認する。  何度頬を抓って確認しても痛みはあり、これは現実なのだと突き付けられて脱力した。 (いくら、百年の月日が経過し人の想いが道具に留まり魂を得て、妖になると説明されても……今まで使っていた道具たちが動いて喋っているなんて、はいそうですかとすぐに受け入れられるわけないじゃない)   座布団に正座する鈴の前には御膳が置かれ、手足が生えた壺が雑穀が白米だけのご飯をしゃもじで盛る。  胴体と顔が壺部分で上下左右から細い手足が生えているなど、妖だと知らない人だったらコレは随分と出来の悪い子ども用の作り物だ、と思うだろう。 「お嬢―、いっぱい食べなよ」 「ありがとう」  お礼を言ってお椀を受け取れば、壺の細い目が嬉しそうに細められて糸となった。 「お嬢、これも食べなよー。炊事場の奴等に頼んで持って来たよ」  大皿に足のみがくっついた妖が、皿部分に切り身の焼き魚と玉子焼き、漬物を乗せて運んでくる。 「こ奴等の言う通り、もっと食え。いくら子どもでもお前は細すぎる」  柱に寄りかかる腕組みをした刀男に見下ろされ、食べなければ無理矢理口に押し込められそうな圧を彼から感じ、鈴はゴクリと唾を飲み込んだ。 「……いただきます」  両手を合わせてから、鈴は箸で米を口に運ぶ。  いつも女中が離れで運んで来る食事は冷めて硬かったけれども、今日のご飯は炊きたて湯気が立ちやわらかくて温かった。    食事を済ませた後、妖達が沸かした風呂に入って体が温まった鈴は、布団に入って直ぐに眠ってしまった。 「……」  昼間の疲れから熟睡する鈴の顔を見詰め、男は彼女の細い首に手を伸ばし片手で握る。  無表情の男が首を掴む指に力を入れていけば、首を絞められる痛みと苦しさで鈴の眉間に皺が寄っていく。 「うぅ」  顔を歪めた鈴が呻き声を発し、男は絞め付けていた首から手を離す。 「フン、やはり無理か」  鼻を鳴らした男の指先から腕全体にかけて、鈍い光を放つ銀色の鎖が絡み付き動きを拘束していた。  腕を拘束する鎖は、男がどんなに力を入れても外れることは無く、力を込めようとすれば妖力を奪い無力化していく。 「魂扱えるのは俺を章澄のみかと思っていたが、こんな小娘に縛られる羽目になるとは……くくく、これほど愉快なのは高梨の血と盟約を結んだ時以来だな」  自由に動かせるもう片方の手で顔を覆った男が鈴から離れれば、彼の腕を拘束していた鎖は空気に溶け入るように消えた。   「ヒヒイロ様」  顔から片手を外した男の前に、離れに住まう妖達が並び一斉に頭を下げ畳に擦り付けた。 「どうか、お嬢を助けてやってください」  一歩前に進んだ茶釜の犬は、耳と尻尾と下げて男に懇願する。 「同じ高梨の者達がお嬢を虐めているんです。放置されていた俺達を手入れしてくれて、ちゃんと使ってくれるのはこの家ではお嬢だけなのに。私たちが何とかしてやりたいけれど、高梨の血の者達には直接手出しできないから……」  掛け軸から姿を現した天女は、隣室で眠る鈴を見て長い袖で目元を拭う。 「帝から高潔な忠臣だと言われていた高梨の者が血を歪ませるなど、章政は随分と耄碌したようだな。    妖達から視線を動かした男は、夜空に煌々と輝く十六夜の月を見上げた。
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