4.動く

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4.動く

 高梨家の裏門に待機していた馬車へ、黒色の外套を羽織り深く帽子をかぶった医者が乗り込み、見送る若い女中は深々と頭を下げた。  敷地の奥、高梨家の者以外は近寄らないようにと言いつけられている、奥の蔵と呼ばれる古い蔵から気を失った兄弟と使用人達が発見されてから三日。  屋敷内には、若い女中でも分かるほど異様な緊張感と雰囲気が漂っていた。 (お坊ちゃんとお嬢さん、悪い病でなければいいけれど……そういえば、離れの子は見てないわね。どうしたのかしら?)  ここ三日間ほど、居候だという少女は食事を受け取りに母屋の台所へ顔を出していない。  若い女中は離れの方をちらりと見て、首を振り勝手口から母屋へ戻って行った。  上座に座り、報告書の束を片手に顔を歪めている章宏へ向けて、使用人頭の中年男性と女中頭の初老の女性は畳に擦り付けて頭を下げた。 「旦那様、処方箋を服薬してもお坊ちゃまとお嬢様の熱が下がりません。先ほども、看病する女中を見てお坊ちゃまは悲鳴を上げ、「化け物」だと錯乱していらっしゃいました」  頬に引っ掻き傷を作った女中頭の女性は、疲労の色が浮かぶ顔を歪めて章宏の息子と娘の様子を報告する。 「一緒に蔵に入った使用人のうち、一人は食事もほとんど食べられず寝付いていますし、もう一人も酷く怯えてほとんど会話が出来ない状態です。これは、あの蔵に住まう妖共の仕業かと。神主様に来ていただいた方が良いのでは」 「必要ない!」  報告書の束を畳に叩き付け、額に青筋を浮かべた章宏は使用人頭の言葉にかぶせて言い放つ。 「使えない使用人などいらん。章晴と尚子は心が弱いだけだ。そんなことより、この事業が失敗するとは……赤字どころじゃない。此処まで落ち込むとは……クソッ」  眉を吊り上げて使用人頭と女中頭を睨んだ章宏は、ギリギリと奥歯を噛み締める。 「やはり、章晴と尚子は御刀様に認められなかったいうことか。どちらも認められなかったとなると、私の次期当主としての信用問題に関わる」  “奥の蔵”に入った本家筋の子どもは、隠し部屋に祀られている御刀様に認められれば当主となる資格を得られる。  二十年前、父親の命によって奥の蔵へ入った章宏は、隠し部屋に辿り着くことすら出来なかった。  暗闇に恐怖を抱く章宏にとって、真っ暗な蔵の中を片付けるなど一人では無理な話だったのだ。  恐怖のあまり嘔吐失禁までして、扉の前で待機していた使用人に救出されたのは苦い記憶として残っている。  御刀様に認められるかもしれないと、期待を込めて送り出した章晴と尚子は夕刻になっても蔵から出て来ず、子供たちの身を案じた妻が使用人達に蔵の扉を開けさせてしまった。  二人の子どもは収蔵品に埋もれ、嘔吐失禁して気絶した状態で発見されたのだった。 「となれば、御刀様に捧げる贄はあの娘しか残っておらぬか」  御刀様に認められ下降している事業が上向くのならば、自分が当主と成れるのならば、高梨家の本家筋で贄とする者は誰でもよかった。 「面倒なごく潰しかと思っていたが役に立ってもらうぞ。お前達、早急に例の物を手配しろ!」  血走った目をした章宏は立ち上がり、唾を飛ばしながら使用人頭と女中頭に命じた。  ***  離れの縁側に腰掛けた鈴は、物干し竿に掛けられて風になびく着物を眺めていた。  視界の端に、じゃれ合う犬と猫に似た二匹の妖の姿がちらつく。  微笑ましい光景でも、二匹が愛玩動物と違うのは胴体が茶釜と毬だということ。  刀男、(あか)の影響で妖の類を認識出来るようになった鈴が妖達に驚いて悲鳴を上げていたのは最初の一日だけで、すぐに妖が見える環境にも慣れた。  因みに、刀男から「好きに呼べ」と言われ、瞳の色から彼を“あか”と呼ぶことにした。 「お嬢―」  毬の胴体に猫の顔と手足を生やした妖と競争をしていた茶釜の犬は、鈴の足元まで走って来ると千切れんばかりに尻尾を振って縁側に飛び乗った。 「お嬢、嬉しそうだね」 「いいことがあったの?」  縁側の板に手を掛けて、毬猫も顔を上げて鈴を見上げる。  にっこり笑った鈴は、茶釜犬と毬猫の頭を交互に撫でた。 「さっき女中さんが来てね。頂き物のお饅頭をお裾分けしてくれたの。一緒に食べようか」  横に置いていた饅頭が入った包みを手に持ち、嬉しそうに目を輝かせる二匹に見せた。 「お饅頭なんて久し振りだな。そうだ、お茶を淹れてくるね」  饅頭の包みを手にした鈴は立ち上がり、台所へ向かおうとして縁側に座る二匹に背を向けた。 「ああー!」  気配も音も無く、障子の向こうから伸びて来た手が鈴の持っていた包みを鷲掴み、奪い取っていく。  障子から姿を現した背の高い緋は、包みを掴んだ手を上げて意地の悪い笑みを浮かべた。 「コレは供物として受け取っておく」 「緋さん酷い!」  取り返そうと背伸びをする鈴を嘲笑い、緋は更に高く手を掲げて彼女の手から逃れる。 「意地悪! 返して、よ?」  跳び上がって取り返そうとする鈴の手をかわし、緋は大きく開いた彼女の口の中へ何かを放り込んだ。 「甘い?」  口の中へ放り込まれ、舌の上に乗った物は桃の香りと上品な甘さをしていて、口を閉じた鈴の頬がほころぶ。 「フンッ、小娘はこれでも食っていろ。ほらっ」 「わぁ、金平糖!」  手の平に乗せられた小さな包みを開くと、大粒の桃色、白色、黄色の三粒の金平糖が入っていた。  初めて見る大粒の金平糖の可愛らしさと、口の中に広がる甘さで、鈴の頭からは緋に取り上げられた饅頭のことは消えていた。
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