お隣さん

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お隣さん

梅雨が終わり、暑さが少し厳しくなってきた7月の夕暮れに、裕太は家の玄関ドアの前に座り込んでいた。 その時、エレベーターの音が鳴り、見たことの無い男の人が出てきた。 このマンションは、一つの階に二部屋しか無い。 裕太の住む301号室も、隣の302号室と二つだけだ。 裕太は、座り込んで下を向いたまま、 「誰だろ…、お隣さんかなぁ…」 と考えていた。 エレベーターから降りた男の人は、裕太を気にする様子も無く、無言で302号室へと入っていった。 ドアが閉まる音を聞いて、裕太は顔を上げた。 気にしてもらえなかった寂しさを言葉に出来ず、ただただ、302号室のドアを見つめていた。 302号室の住人北川翔は、玄関のドアに鍵をかけ、部屋を歩きながら考えた。 「今の子供…、隣の子か? たしか相田の所は子供がいないはずじゃ…。 あっ、アイツ引っ越したか…。 じゃあ、新しく越してきた子か? まぁ、俺には関係ないか…」 と、ここまで玄関前で見た子供の事を考えていたが、すぐに仕事の事を考え始めた。 翔は、他人に興味の無い仕事人間だ。 「冷静沈着人嫌いのロボット」と影で噂話のネタにされるほど…。 今日は、たまたま早い帰りだった。 いつもは夜中まで仕事。そして、土日も出勤の日がほとんどだった。 桃子は、翔が夫と同じ会社の人で、日常生活や人柄を分かっていたからこそ、安全だと感じていたので、結衣に自分の住んでいたマンションを勧めたのだった。 ソファに座り、付いていないテレビを見ながら、翔は呟いていた。 「設備点検で早く帰るハメになるなんて…。 はぁ…。 今日はツイてないな…。」 と。 しばらくして、翔の家の玄関のチャイムが鳴った。 モニターをみたら、頭の後頭部が映っていた。 「ん? さっきの子か?」 そう思い、モニター越しに話さず、玄関に向かいドアを開けた。 翔が、 「何の用だ?」 と、目の前で下を向いたままの裕太に向かって聞くと、裕太は小さな声で、 「玄関の鍵を忘れて学校へ行っちゃって…。お家に入れなくて…。 トイレ…、トイレ貸してください!!!」 と最後は大きな声になりながら叫んだ。 少し考えた素振りを見せた翔だが、 「…トイレ、行け」 と渋々ドアを大きく開けて、裕太を家の中へと促した。 裕太は、 「ありがとうございます!」 と大きな声で言ったあと、玄関で乱雑に靴を脱ぎ捨て、ランドセルも投げ出し、トイレへと走った。 そんな裕太を見て、 「俺…、何やってんだか…」 とため息をついて、翔は玄関ドアを閉めた。 裕太がトイレに入っている頃、翔は、何かの景品でもらったゲームをやり始めていた。 ゲームに夢中になっていて、裕太が部屋に入ってきた事に気付かなかった。 「お兄ちゃん、トイレありがとうございました! あ〜!! このゲーム、僕がやりたかったのだぁ!!」 お礼を言いながら叫び、翔の座っているソファへ飛び込んできた裕太に驚き、翔は、ゲームをしていた手が止まってしまった。 そして、慌てて画面に目をやると「ゲームオーバー」の文字が…。 「あぁ…。マジかぁ…」 と落ち込みうなだれる翔の隣で、 「いいなぁ。いいなぁ。 僕もやりたいなぁ〜」 と、目をキラキラさせながら裕太が呟いた。 そんな裕太を横目で見ながら、 「親に頼め」 と一言返して、翔が会話を終わらせようとすると、裕太は少し顔を強張らせて、 「母ちゃんには頼めない。 だって高いもん…」 とだけ言って、俯いた。 裕太の顔が大人びて見えた翔は、なぜか裕太にさっきまでの無邪気な顔になって欲しくて、 「じゃあ、今からやるか? 俺は負けないよ」 と挑発的な口調で裕太に問いかけた。 その言葉に、裕太は顔を上げた。 そして、少し嬉しそうに 「僕だって負けないよ!」 と意気込んで答えた。 人嫌いのはずの翔。 今日初めてあった子供が気になるなんて…。翔は、裕太と接すれば接するほど、混乱していた。 仕事が楽しかったはずなのに、仕事だけが楽しみだったはずなのに…。 ゲームではしゃぐ裕太と一緒に、笑顔になってしまう自分に戸惑いながらも、翔は、この時間がとても心地よく感じていた。 そして、二人の距離は急速に縮まっていった。 しばらくして…、ふと、翔は時計を見た。 「おい! やばい! 1時間もたってるぞ!」 と裕太に叫んだ。 「やばい…。 まさか誘拐だと思われたら…」 翔はかなり焦った。 そんな翔を見て、裕太は時計に目をやり、 「大丈夫! 母ちゃん、まだ帰ってないよ。 でも、鍵ないし…、まだここに居ていい?」 と、翔の方へ目を向け頼んだ。 翔は、 「それは、いいけどさ…。 だったら、母ちゃんにこの家にいると分かるようにしとけ。」 と言って、裕太に紙とペンを渡した。 受けとった裕太は、早くゲームをやりたくて、『となりにいる!』とだけ書いて、急いで走って自分の家のドアの隙間に紙を挟み、また走って戻ってきてゲームをやり始めていた。 何にでも一生懸命な裕太を見て、翔は、その行動一つ一つに面白さを感じていた。
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