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翔の変化
ほとんどの人が定時で帰る社内。
節電のために少し暗くなった自分の席で、翔は最近の自分の行動を思い返していた。
…というのも、隣の席の後輩加藤に、
「北川主任、なんか雰囲気変わりましたよね〜」
と言われたからだ。
翔が首を傾げると、
「仕事の話も緊張して話しづらかったんですけど、今ならプライベートな事もちょっと聞けそうな感じに…」
と、補足された。
「そぉかぁ?」
と、自分が変わったと思えない翔は、そっけなく答えた。
加藤は、そんな翔を気にする事なく、
「仕事もです。 あっ、ほら、最近土曜日居ないですよね? 主任が居ると思って、仕事来て会えなかった!って、皆言ってますよ〜」
と続けた。
翔は、平日のように電話対応や取引先への応対などしないで、集中して仕事が出来るから土日に来ていただけだったので、その行動が周りに影響があった事に驚いた。
加藤が帰宅し、一人席に座ってその事を考えていたら、ふと隣の家の裕太のことが頭に浮かんだ。
「裕太…今頃何してるんだろ…」
と。
そして、少し前に会話した田辺部長の事を思い出した。
腰を押さえて歩く姿に、思わず翔は声をかけた。
「どうされたんですか?」
と。
田辺部長は、翔の方を向いて苦笑いをして、
「いや〜、息子のバトミントンに付き合ったら、腰を痛めてな〜。 最近の子はゲームばかりだろ? 一緒に何かしたくてやったら、これだよ…」
と、ため息混じりに答えた。
そんな田辺部長に、
『お大事にしてください』と翔は声をかけ、別れた。
その時の田辺部長の顔が、痛そうなのに嬉しそうだった事が、翔の頭の中から離れなかった。
翔は、田辺部長や加藤との会話や出来事が頭の中をかけめぐっていた。
そして、いつもなら深夜までいる社内を翔は飛び出し、スポーツショップにサッカーボールを買いに行っていた。
翔がサッカーボールを買った翌週の土曜日、仕事終わりの由依は、家の玄関ドアの前で考えていた。
由依は、歯科の受付をしている。
その歯科に、息子の友達の健太くんのママが来た。
そして、帰りの会計後に言われたのだ。
「裕太くん、公園で男の人とサッカーしてたの見たわよ〜! 楽しそうだったけど、パパかしら? とっても仲良しなのね。見てて微笑ましかったわ」
…と。
健太くんのママは、学校行事に参加したことのない裕太の父親を見たことがなかった。
そして、由依が離婚をした事をまだ知らなかった。
だから、公園で見かけた翔と裕太の事を親子だと勘違いしていた。
健太くんのママの言葉に驚き、言葉が出ない由依の表情を、不思議そうに気にしながらも、健太くんのママは時計を見ると、慌てた様子で去っていった。
元夫の裕二の顔が頭を過ぎる。
「まさか…、あの人と…?」
離婚の時、裕太の親権問題で少し揉めた事を思い出す。
「裕太を取られたら…、どうしよう」
不安な思いを抱えたまま、玄関を開けた。
その音を聞き、裕太が笑顔で玄関まで走ってきて、
「おかえり〜!」
と言いながら、由依に抱きついた。
そんな裕太を、抱きしめ返す事なく黙ったまま由依は立っていた。
裕太は、顔を上げ首を傾げながら由依を見つめた。
裕太を見下ろしながら、由依は、
「公園でサッカーしたの…? もしかして…、パパと…?」
と、不安げな顔で聞いた。
それを聞いて、慌てた裕太は、
「えっ? 違うよ! パパなんか会わない!! 隣の翔くんだよ!」
と、隠していた事を口にしてしまった。
それを聞いた由依は、
「えっ?」
と一言口にし、しばらく黙ってしまった。
元夫では無い安心と、なぜ隣の家の人?なぜ翔くん呼び?という事で、由依の頭の中には沢山の『?』が駆け巡っていた。
「あのね、土曜日遊んでくれてるの…」
と、裕太は由依に話した。
他にもたくさん話して、由依に分かってもらいたかったが、突然バレた事で、裕太の頭の中は真っ白になっていた。
沈黙の時間が少し流れ、
「…ちょっと話してくる」
とだけ裕太に伝え、由依は玄関ドアを閉めた。
裕太は、由依を自分が困らせてしまった事に落ち込み、どんな話をするのか心配になりながらも、玄関ドアを開けて隣の様子を見る事が怖くて出来ず、ただ、閉められた玄関ドアを見つめていた。
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