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さらに近づく距離
月曜日の朝、出社した田辺部長の席の前に翔は立っていた。
そして、有給届を出しながら、
「急ですみません。 本日有給を取らせてください。 あと、しばらく定時で帰らせて下さい。」
と、頭を下げた。
田辺部長は、有給届を受け取り眺めながら、
「何かあったのかね? 金曜日も早く帰ったそうだが…」
と、翔に尋ねた。
すると、翔は、
「大切な人の看病がしたくて」
と真剣な眼差しで答えた。
田辺部長は、驚いた。
この、北川翔という男は、周りから仕事人間だの、人と関わらないロボットのようだと、結婚も恋愛もするつもりが無いから、マンションを買ったんだろうとか、色々言われていたからだ。
翔本人も、周りの噂通りの男だと自覚していた。
自覚していたはずだったが…。
翔の真剣な眼差しを見つめ返し、
「良いよ〜。 今日の有給、明日からの定時、まぁ、急ぎの仕事も今無いから大丈夫でしょう〜。 はい、帰って良いよ〜。 お疲れ様〜」
と軽い調子で答えて、田辺部長は、机の上の書類に目を通し始めた。
そんな田辺部長の姿を見つめ、一礼をして自分の席へと向かった。
翔の席の隣には、すでに後輩の加藤が出社していた。
「加藤、おつかれ〜! 悪い! 今日有給で、明日からしばらく定時で帰らせてもらうわ」
と、机の上を片付けながら加藤に伝えると、加藤は、黙ったまま、次の言葉を待っていた。
そのことに気づき、チラッと加藤に目をやりながら、
「大したことないんだけど、体調崩した知り合いを看病する事になってさ」
と続けて話すと、加藤は、
「金曜日の人ですよね? 大したこと無いんですか? 良かったぁ」
と、胸を撫で下ろした様子だった。
それを見て、翔は、金曜日の出来事を加藤に説明していない事に気付いた。
「加藤! 悪い! 金曜日、気になってたよな~! 大丈夫だから!」
と、笑って謝った。
加藤は少し困ったような顔で、
「心配しましたよ! 雰囲気からヤバそうだったし…。 でも、直接聞いたわけじゃないから、どうなったとか聞けないし…」
と、本音を漏らした。
その言葉に、さらに翔は謝りながらも、再度仕事を頼むと、急いで会社を後にした。
病院では、祖母のミチと裕太が揉めていた。
「僕、学校休みたくない! お家に帰る!」
と言う裕太に対して、ミチが、
「もう少しだけ、お母さん休ませてあげようよ。…裕太、ばあば達のお家にもう少しだけお泊りしてくれない?」
と、しゃがみ込んで裕太の顔を見ながらお願いしていた。
裕太は、ばあば達が好きだ。
ばあば達の家も大好きだ。
学校よりもほんとは好きだ。
でも…、今は翔に会いたかった。
そんな二人のやり取りを、ベットに座って見ていた由依が、
「お母さん、ありがとね。お父さんも…。心配かけてごめんなさい。無理しないから、もう大丈夫だから、うちに帰るよ」
と、申し訳無さそうに二人に伝えた。
そんな由依を見て、まだ心配なミチは、何か言おうとした時、病室のドアをノックする音がした。
ミチがドアを開けると、そこには翔が立っていた。
裕太がドアの方を見て、翔の姿を見つけ、
「あ〜!! 翔くんだぁ!!!」
と、嬉しそうに駆け寄り飛びついた。
そんな裕太の頭を撫でながら、
「元気だったかぁ〜」
と、笑顔を見せる翔。
そんな二人を見ながら、突然現れた翔に、祖父母は戸惑っていた。
そして由依も、少し驚きながらも、来てくれた嬉しさで少し微笑みながら、その様子を見ていた。
裕太は、翔に抱きつきながら、
「僕、ばあばのおうちに行きたくないな。 翔くんと帰りたいな」
と翔にだけ聞こえるように呟いた。
その言葉を聞き、翔は、裕太を抱き抱え、祖父母へと頭を下げ、由依のいるベッドへと近付いた。
「こんにちは。体調は、大丈夫?」
と、翔が聞くと、
「お陰様で。 もう大丈夫ですよ。」
と答える由依。
由依の答えに頷いた翔は、裕太を下ろして、裕太と繋いだ自分の手を見つめた。
そして、由依に目をやり、翔は、
「俺…、今日、会社休んだんだ。 退院の支度手伝うよ。 もしマンションへ帰るなら、明日からも定時で帰って手伝うよ。 裕太と協力して…、な?」
と、裕太に同意を求めながら言った。
そんな言葉に、裕太は、
「僕、掃除も洗濯もやる! だからおうちに帰ろう!!」
と、翔と繋いだ手と反対の手で、由依の手を握りしめた。
自分と翔の、二人と繋がれた裕太の手を見つめたあと、由依は祖父母の方へと顔を向かせて、
「お父さん、お母さん。私達…、マンション帰るね」
と、少し照れながら伝えた。
祖父母は、由依と翔と裕太、3人の気持ちを理解して、無理しない事を由依と約束して帰って行った。
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