それは私だけのもの

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 奥の部屋、そこそこ質のよいソファーや調度品の置かれたその部屋はあまり使われない接客室だ。本来の用途で使用される頻度より黒須が昼寝に使うことのほうが遥かに多い。 「へえーいい部屋じゃん」  悠希は飛び込むようにソファに腰を下ろすと大きく伸びをひとつして買い物袋から缶チューハイやつまみを取り出しローテーブルへ並べ始める。 「有夢ちゃんも一杯どう? 『相手してやれ』って言われたくらいだし別にかまわないでしょ」 「いえ、私は未成年ですので」 「変なとこお堅いわねえ。パパそっくり」  有夢のつれない反応に悠希は舌打ちして缶を傾ける。 「そうですか?」 「どうせ『非合法な仕事をしているからこそ犯さなくていい法はなるべく犯すな』とか言われてるんでしょ?」 「はい」 「なによ、イイ子ちゃんじゃないの」  面白くなさそうな悠希の心境がわからず有夢は首を傾げる。 「お姉ちゃんは私が命令を遵守することが不満なのですか?」  突然のお姉ちゃん呼びに悠希が酒を噴き出し盛大にむせ返った。有夢は慌てず騒がずタオルを差し出しながら片手でローテーブルを拭く。 「あたしのいとこがイイ子クール過ぎてちょっと怖い」 「怖いですか? ……修正すべきでしょうか」 「いいのよ。あなたはそのままでいてちょうだい」  悠希は、きょとんとした顔で首を傾げる有夢を半笑いで宥めるとつまみをあけて頬張る。有夢は向かいのソファに座って姿勢を正す。 「質問をしてもよろしいでしょうか」 「どうぞどうぞー? なに、オトコの落としかたでも聞きたいの? あーでもパパはやめといたほうがいいわよ、あんなロクデナシ滅多にいないから」 「いえ、そういった話には関心がありません。お姉ちゃんはどうして昼間からお酒を吞んでいるのですか」 「ぐっ……そっち系? っていうか続けるんだ? お姉ちゃん」 「人目がなくとも役割(カバー)を全うするようにと指示されています」 「パパもああ見えて生真面目よね。まあいいわ、あたしが昼間っからお酒吞んでるのには大事な理由があるの。いい?」  悠希が真顔でローテーブルに缶を置いた。 「はい」  有夢もまた神妙に聞く姿勢をとる。 「吞みたいから」 「はい?」  しばしの()があった。 「お酒、美味しいんだもん。いいじゃない、昼から吞んだって。なにが悪いってのよ」  拳を握りしめて力説する悠希に対して有夢はスマホを取り出して迅速に医療機関の検索を始める。 「アルコール依存症は命に関わります。可及的速やかに専門医の診断を受けるべきです」 「いやいやないから。アル中とかなんないから」 「しかし」 「オーケー有夢ちゃんあたしが悪かった」  悠希はまいった顔で有夢を制した。 「別に起きてるあいだずっと吞んでるみたいなわけじゃなくて、単に生活サイクルが違うから吞む時間が昼間になるってだけなの」 「そうですか」 「そうですなのよ。仕事に差し障るような量は滅多に呑まないし、ちゃんと調整してるからそんな真顔で病院探すのはやめて」 「了解しました」  有夢は頷くとスマホをポケットへしまう。ほっとした顔で缶を手に取って口をつける悠希だったが、これは質問への本質的な回答じゃないわね? と思い当たり、少し考えて言葉を続ける。 「まあお酒を吞んでる言い訳ってわけじゃないんだけどさ」 「はい?」 「少なくとも余暇の時間は、自分が楽しいと思うことを自由にすればいいと思うのよね」 「楽しい、ですか」 「そう、楽しいこと。なんかないの?」  有夢は考える。私にとって“楽しい”とはなんだろう。 「わかりません」  彼女にとっては“私”という概念自体が馴染の薄いものだった。それゆえ主体的な願望があまりない。悠希とは対照的とすら言える。 「うーんソッカー。ま、とにかく。あたしが暇なときにお酒を吞んでるのはそれがあたしにしかできないことだからよ」 「マスターもときどき業務後や休日は日中でもお酒を嗜むことがありますが」 「お酒を吞むだけならそりゃ誰でも吞めるわね。でもあたしがお酒を吞むってことを選べるのはあたしだけなの」  悠希は缶チューハイを飲み干すと得意満面に続けた。 「あたしを幸せにできるのはあたしだけなのよ」
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