それは私だけのもの

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 近所の高校とその最寄り駅からは少しばかりルートを外れた住宅地の一角にある喫茶店ノワール。表向きは喫茶店を営みつつもその実態は非合法ななんでも屋の拠点のひとつだ。  マスターの中年男性とひとりのメイド少女が切り盛りするその店は、だから客足もまばらでいつも静かな雰囲気。 「たっだいまぁ!」  ボロいなりにも頑丈なドアが叩き付けるように開かれ女が入ってくる。ウェーブの大きな紫のセミロングに猫のような瞳、美しいスタイルを誇示するかのようなタイトな白のワンピースにボアのついた高そうな黒い革ジャケット。  いかにも遊んでいそうな彼女の右手には大きなコンビニ袋、左手にはストロングな感じの缶チューハイが握られていた。顔がちょっと赤らんでいるのはアルコールのせいだろう。  黒いベリーショート髪のクラシックメイドは無表情に一瞥して二秒ほど沈黙したあと、スカートの(すそ)を摘まんで深々と一礼した。 「お帰りなさいませお嬢様」 「そいつどうみてもお嬢様って歳じゃねえだろ。っつーかお前どっからそういうの覚えてくるんだ?」  マスターであるぼさぼさの長髪に無精髭の中年男性、黒須(くろす)が即座に突っ込む。 「先日学校で一般的な【メイド喫茶】について説明を受ける機会がありました」 「なるほどなあ……」  黒須がげんなりした顔で頷いていると、紫髪の女は目尻を吊り上げて怒鳴った。 「ちょっとぉパパッ! あたしを無視しないでくれる!?」  黒須は舌打ちひとつして眉根を寄せる。 「お前にこの店教えてねえだろ……」 「ふふんっ! あたしの調査能力を甘く見ないことね!」  これまたげんなりした顔になる黒須だったが、今度はメイド姿の少女が無表情なまま固まっていた。 「ん? どした」 「マスター、店のお金を女性につぎ込んでいるのであれば早急に返金願います」 「そのパパじゃねえよ。どっから覚えてくんだ? そういうの」  世間知らずのメイド少女はときどき素っ頓狂なことを口走る。黒須もすっかり慣れたものだが、こういうときばかりは少々頭が痛い気分になるのもやむを得ないところだ。  紫髪の女はそのあいだにもカウンターへ勝手に腰を下ろすと、メイド少女にへらりと手を振って「はじめまして、谷矢(たにや)悠希(ゆうき)よ」と愛想よく名乗ってチューハイを口にした。 「はじめまして、編戸(あみべ)有夢(ゆめ)と申します。マスター、黒須さんの……姪です」  有夢は自己紹介するがその口調には明らかな戸惑いが現れている。  黒須の姪、という立場は仕事のため表向きに用意したもので、実際彼とのあいだに血縁関係はないからだ。  嘘を吐くことにためらいがあるわけではない。ただ黒須をパパと呼び彼もまた否定しない悠希に対して、血縁だと名乗って問題が無いのかとっさに判断できなかったのだ。  かといって本人の前で黒須に確認を取るわけにもいかない。逡巡しつつも彼の「吐いた嘘はとりあえず吐き通せ」という教えに従って姪を名乗ることにした。  悠希はとくに気にした様子もなく、酔ってとろんとした目を瞬かせて笑う。 「へぇ~あたしのいとこじゃん、よろしくねぇ有夢ちゃんっ」 「いとこ……はい。そうですね、いとこです」  僅かに歯切れ悪く返した有夢の言葉ににやりと口元を歪めてチューハイをもうひと口。 「えーっとパパのお姉さんの子? 妹さんの子だっけ? それともお兄さんの子だったかしら」  白々しく「思い出せないわあ」などと言いながら振られた矛先は有夢の想定外だった。表情にこそ出さなかったものの沈黙すること数秒。 「……それは、わけありで。すみません」  答えを捻りだしたところで黒須が手を打った。 「その辺にしとけ。姪っ子がひとりで野郎のところに匿われてんだ、詮索すんなよ」 「なーによぅ、設定甘くない?」 「必要ねえんだよ、誰が俺の兄弟姉妹まで詮索すんだよ」 「したじゃん? 娘のあたしが」 「うるせえ重箱の隅つつくような真似しやがって。有夢、わけありは良かったぞ」 「はい、ありがとうございます」 「悠希、客がいねえからって持ち込みの酒をカウンターでやるのはやめろ。奥の部屋を使っていい。有夢、案内してやってくれ。店は俺が見ておくからちょっと相手してやってくれ」 「……相手、ですか?」  訝し気に首を傾げる少女に男は肩を竦めて薄ら笑みを浮かべた。 「ま、一応いとこのお姉ちゃんだしな」
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