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それから三日おきに、真木は夜の外出を繰り返すようになった。
行って来る、とひとこと断っては、夜明けに帰って来る。
そのたびに不比等は訳もなく苛立つようになり、日を追うごとにそれは強まる一方だった。
普段の生活は相変わらずで、不比等も漁の合間に龍神の探索を続けているし、真木の手伝いもしている。夕食を食べ終わったあとは、漁で破れた網を二人で繕うことが多かった。
出会ったとき、真木が浜辺に座っていたのは網の破れ目を確かめるためだったのか――この作業によって、不比等はようやく理解したものだ。
麻の太紐を大きな針に通し、一つ一つ縫っては網を補修していく。魚の鱗で切れた箇所を調べ、そこに新しい紐を通して結ぶ作業だ。慣れれば考えごとをしながらでもできるので、不比等も都を思いながら手を動かしては器用に繕いつづけた。
ふと目の疲れを感じたとき、不比等は、真木がここ数日出掛けていないのを思い出してしまった。
――もしかしたら、今晩も行くのか?
そう思うと、心がとげとげしくなるのを抑えられなかった。
不快と疲れを吐き出すかのように、投げやりに呟いてしまった。
「よくやるよ、こんな細かくてつまらない仕事を」
真木は手を止めず、宥めるように、穏やかに答えた。
「こいつをしなきゃ俺たちは明日の飯に困るんだ、飽きただの嫌だのなんて言うことすら思いつかないよ――何もしなくても食って行ける、貴族らしい科白だな」
はっと不比等は口を噤んだ。
しくじった、と心が冷えた。
いくら何でもこれは言ってはならない、無神経な言葉だった。自分とて今ではこれで生きているというのに、思いあがりも良いところではないか。
猛省した不比等が素直に謝ると、真木は網を広げて静かに唇を緩めた。
「別にいいさ、俺達は歩けるようになったころからこんなことばかりやってるんだ、あんたみたいな都人とは違う――気にしてやしないよ」
器用な手付きで畳んだ真木が、家の片隅に持って行く。
丁寧な置き方に、彼が生計の道具として網を大切にしていることが痛いほど感じとれた。
「それでもだよ……すまなかった」
真木を傷付けたかも知れないと思うと、不比等はいたたまれない。
他者が己の言動をどう受け取ろうと、どれだけ傷付こうと気にしたことすらなかったが、真木相手だと喩えようもなく不安になる。
ひょっとして呆れられたのではないか、嫌われたのではないかと。
見るからにしょげている不比等の姿に、真木はおかしそうに笑った。
「あんた、本当に子供みたいだな……俺は怒っても叱ってもいないのに、そんなになって」
「………」
「言っただろ、俺たちとあんたはぜんぜん違うんだ――そこまで気にするなよ、俺も言いかたが悪かった」
不比等の肩をぽんと叩いた真木は、今日も出るから後は頼むと身軽に外に行ってしまった。
――違う……?
たしかに生まれ育ちは違う。正反対といってもいいくらいに。
けれど、人としての在り方までもがそこまで違うのだろうか。
取り残された不比等は、幾度も問いを繰りかえした。
どんなに努力しても、真木にとって自分は所詮『別世界の貴族』でしかないということなのだろうか?
こちらは彼に、誰よりも強い友情を感じているというのに。
一人で考えこめば考えこむほど、胸が痛くなる。
まるで何かが本当に刺さっているのではないかと思えるほどに鋭く、重い痛みだった。
※ ※ ※
「なあ、どうして夜に出かけるんだ?」
真木の目的をうすうす察していながら、不比等はずっと問いただせなかった。けれど尋ねることが出来ない自分に向き合う勇気と、彼に行き先を問う勇気を比べれば、後者のほうが不比等には容易いことだったのだ。
そして質問を投げ掛けた理由は、もうひとつ。
真木の反応を窺うためでもあった。
せっかく友人になれたのに、自分の無思慮のせいで隔てが戻ったのではないかと危惧していた。
しかし海人の若者はいつもと同じ態度で、気軽な笑顔になる。
その笑みを見て、どうやら杞憂らしいと不比等は安心したが、次に続く返答を聞いた瞬間、身体が固まった。
「付き合ってる娘がいるんだ、東の邑に」
――覚悟していたこととは言え、不比等の胸を、ずきりと鋭い疼きが走った。
東邑の長と知り合いで都言葉を覚えていたのも、頻繁にそこに出入りしていたためだったのだと合点が行った。
痛みを押し隠し、若い男同士の話に紛らわせるように先を促した。
「へえ、そりゃいいな。きれいな娘か?」
「きれい、って……あいつ以外の若い女を沢山見てるわけじゃないし……きれいかどうかなんて分からないけど、でもいい娘だよ。いつも明るくて、親にも優しい働きものだ」
「何だよ、俺に遠慮することはなかったのに、どうして今までもっと行ってやらなかったんだ」
不比等が探ると、真木はちょっとはにかんで、頭に手を遣った。
「だって、あんたにいろいろと教えることに掛かりきりでさ――もうあんたも一人前に海に出られるし、余裕ができたから、また通ってるんだ。そろそろ所帯も持とうって考えてるし」
不比等は真木に聞こえない溜息を吐いた。
俺よりも、そっちは?と逆に訊ねられ、不意を突かれた不比等はつい反応が遅れた。
「え……俺の方?」
「そうだよ、難破したって言うなら、嫁さんだって子供だって、都にいるんだろ――これまで聞いたことはなかったけど」
「あ、ああ……まあな……」
強張った声で、不比等は語尾を濁す。
たおやかな美女揃いの豪族の娘たちの中でも、とりわけ美しいと言われている妻と、ちいさな息子。
ここに来る直前に次男の房前が生まれたばかりで、妻たちは夫が一人で辺境の地に赴く事態に嘆き、最後まで反対していた。
女などよりどりみどりだった不比等は、若い欲望の赴くままに侍女や側室たちを組み敷いて来た。
恋を経験するより先に、身体を結ぶことを覚えた。
そこに誠意などあるはずもなく、名家の子息として血族を繋ぐ義務を果たせば、あるいは欲望を解消すればそれで終わりだった。
人を真剣に愛する必要は一切ないと教えられて来たのだ。
妻たちにさえ、親しみ以上の感情を持ったことはない。
しかし真木に対してだけは違う。
すべてが。
友情以外の何かを彼に抱いている。
それが何という“感情”であるのかを心の底では判っているのに、不比等は考えたくなかった。
考えようともしなかった。
真正面から向き合ったところで、真木の心は別の女性のものなのだ。まったく意味がない――
こちらの家族のことをもっと詳しく訊きたそうな真木の視線を無視して、不比等は藁布団の上に横になった。
その様子が気になったのか、真木は今夜は恋人のもとに外出しようとはしなかった。
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