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この話の舞台は奈良時代です。
藤原不比等と志度海人の宝珠奪還伝説を基にしています。
当時の主だった家系図を以下に図示します。
なお、今回のお話は、作者の想像で史実・伝説を脚色しています。
歴史上の異説を多分に取り入れていることと、本人の日本史の知識不足から、必ずしもしっかりした歴史書通りの内容とはなっておりません。
ご了承下さい。
【図1 藤原(中臣)氏】
不比等の母親は鏡王女、もしくは車持国子君の娘と言われていますが、今回は鏡王女という設定にしています。
なお、不比等の妹が唐に嫁いだと言う史実はなく、志度海人伝説で作り上げられた架空の存在だと思われます。
この度は作者が安知媛と命名して登場させています。
【図2 大王(天皇)家】
天皇の位に就いた順番は、天智→大友皇子→天武→★持統→文武→★元明→★元正→聖武→★孝謙となります(★は女帝)。
《追記》
不比等の後妻である県犬養三千代を中心とした家系図を示します。
【図3 橘家】
彼女が最初に結婚していた美努王との間には橘諸兄や牟漏女王が生まれています。
彼のひ孫が九相図を描かせたことで有名な橘嘉智子、別名檀林皇后です。
家系図を追っていて気づいたのですが、彼女のご先祖に遣唐使の粟田真人がいるようです。
真人は唐で「容止温雅」と記されるほどの風貌の持ち主で、父の橘清友も目鼻立ちのはっきりした男性だったことが記録から窺えますので、檀林皇后が美女であったという説もむべなるかなです。
なお、牟漏女王は不比等の次男房前の正室となり、その子孫が藤原道長へと続くことになります。
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