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彼女はアイドルだった
俺、一条奎二はいま都心のとある屋外野球場に来ている。
高校生になり野球に本格的にハマると、現地によく見に行くようになった。
今日は開幕二日目のデーゲーム。まだ少し肌寒いが日が照っていてその空気感がたまらない。
俺の応援するチーム東京ロンディーネはホームゲームで開幕戦を迎え、初戦は負けてしまった。今日こそは勝ってほしいところだ。
さて選手たちもポジションにつき、今から始球式が行われる。俺の目的の一つはこれでもある。
スターシャイニングという五人組アイドルグループが始球式を務めるのだが、そこには俺の知り合いがいる。
彼女の名前は葛生葵。身長は普通くらいだが黒髪をなびかせ容姿はかなり整っている。
彼女はテレビでやっている公開オーディションを勝ち抜いた現役高校生アイドルだ。
そんな俺と彼女の繋がりは野球だった。学校ではロンディーネを語り合う仲である。今日は彼女が始球式を務めるというのでわざわざ今日の試合のチケットを取った。人気グループが故、争奪戦だったがなんとか買えた。
このことを葛生に話したら一応撮っておいて、と言われたので只今スマホを構えて待機中だ。
カラービジョンに彼女達が映し出されると歓声が湧いた。こういう反応をされている友人を見ると変な感じがする。周囲からはかわいいと言う大人の野太い声があちらこちらから聞こえた。
確かに彼女は容姿が整っているし芸能人なので当然の反応なのだ。しかし俺としては普通のクラスメートで趣味仲間なので違和感がある。
俺はスマホの録画を開始した。
マウンドに上がる葛生の表情は少し固い。
緊張しているのが目に見えて分かる。
一瞬で球場の視線が彼女にいき、しんと静まる。
葛生が大きく足を上げて腕を振る。
キャッチャーミットめがけてボールは山なりだがノーバウンドで届いた。
おお、という歓声と共に拍手が巻き起こる。
俺も録画をそこでやめて、彼女に拍手を送る。
マウンドを降りるときの彼女の照れくさそうな顔が印象的に感じた。
これだけの人から拍手をされる葛生はかっこいいなと思った。
さて、これから野球が始まる。
俺はワクワクしながら球審のプレーボールを待っていた。
数ヶ月後。
「私、何者なのか分からないわ。」
俺がお風呂から上がりリビングのドアを空けるとテレビは別番組に変えられてしまっていたようだった。
テレビの画面は鬼気迫る表情をした女性が迫真の演技をして何かを訴えかけているシーンのようだ。
家族はそのシーンを黙って見守っている。
「アイドルなのに演技までできて凄いわね。」
母の一条慶子は感嘆している。
「これお兄ちゃんのクラスの子でしょ。」
妹の一条咲子は目を輝かせて言う。
「ああ、多分そう。」
「いいなぁ。こんな可愛い子と同じクラスなんてさ。」
妹が褒めるこの女子の名前は葛生葵。
一ヶ月程前始球式をしていた女の子だ。
俺は彼女と同じ高校に通っていてしかも同じクラスそして隣同士。だが彼女と同じクラスで良かったことなど、そういったことを一度も思ったことはない。
「奎二と仲良くなんてないだろう。」
俺の父親の淳司は俺をからかう。
「確かにそうね。こんな可愛い子がね。」
母の慶子も便乗して笑って言う。
二人揃って俺を馬鹿にするので反論の一つでもしてやろうかとも思ったのだが、それもそれで面倒臭い気がするので辞めた。
「お兄ちゃん全然話せなそうだし挙動不審になってそう。」
咲子も味方ではないみたいで両親より辛辣な言葉を俺にかける。
「本当にこの子は演技担当よね。」
スターシャイニングの五人は各メンバーそれぞれ特色があるのが売りらしい。葛生は演技が上手いそうでその担当だと聞いている。
「それ。主人公から嫌な役まで幅広いよね。」
咲子も納得しているようで母の意見に同意する。
「葛生のことはいいからさ。俺は野球が見たいんだけど。」
家族は俺の言葉に一切反応することなくテレビを見続けている。
今は午後七時半を過ぎたところ。ナイトゲームの場合、野球は六時から始まる。時間帯から言えば序盤が終わったくらいだろうか。
今から見られれば最後まで楽しめるだろうが家族はそれを許してくれない。
チャンネル主導権は母や妹にあるため叶わないだろう。
俺は仕方ないと自分に言い聞かせ、スマホのアプリで経過を見守りながら同じようにしてテレビを見る。
うちの家族がハマっているこの番組は今流行りのアイドル発掘育成番組である。
全国各地から我こそはという人間を募集し、オーディションからデビューまでドキュメントするというスタイルで人気を博しているらしい。
これに出演しているのが同じクラスの葛生葵という訳だ。ちなみに彼女は応募総数五千人を越える中から選ばれし五人に入れたらしい。それは本当に凄いと思う。
クラスでも彼女を応援している声はかなり大きい。
他クラスや学年の垣根を越えて幅広く応援されていると思う。
グループの人間模様も見えるようでリアリティあると若い世代を中心に高視聴率を維持し続けているとネット記事で読んだ。
『ここで大事な話があります。』
番組内で葛生からの大発表があると言っていた。
「なんだろうね。」
咲子は画面の葛生に目が釘付になりながらテレビもしくは家族に話しかけるように呟く。
『私葛生葵はグループを辞退させていただきます。最後まで一緒走ることができなくなってしまいごめんなさい。』
えー、という声がテレビ、うちの家族とシンクロするように叫ばれている。
咲子は呆然としているし父母二人して鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。とはいえ、俺も少し驚いた。
うちですらこの反応なのだ。世間も驚いていることだろう。SNSの呟きは葛生葵脱退で持ち切りになっている。
そう思うと明日の学校が不穏な気がする。
俺の嫌な予感が的中した。放送された次の日高校に登校すると、そういう状態だった。
葛生がアイドルとして選抜されたときすら人がこれでもかと言う程集まっていた。
第一線から退くともなればこうなるのは仕方ない気もするがこれは集まりすぎではないのだろうか。
「どんだけ集まってくるんだコレ。」
俺は人をかき分けながら自分の席目指して進む。
「今日はとんでもない人数集まっちゃってるよな。」
「そりゃあ昨日電撃引退表明したからこうなっちゃうでしょ。」
俺の前の席に座る都留亮介がこちらの方を向いて苦笑して言う。
肝心の葛生がどこにいるかわからないほど教室は人で埋め尽くされていた。
「騒動の中心人物はどこにいるんだ。全然みえないんだけど。」
「あっちじゃね。」
都留が指差す方を見るとそちらの方のより人口密度が集中している気がする。
「皆、葛生の脱退理由を聞こうとして集まっているのか?」
俺がそう尋ねると都留は大きく頷く。
「それしかないでしょ。一身上の理由と言われても納得がいかないし。」
都留もどこか不満な顔で言う。
引退理由がはっきり説明されていなかったからなのか、ネット上では様々な議論がされていた。
「テレビで言えないのにこんな場所で言えるはずないじゃん。」
テレビに出ている人間が近くにいるってだけで皆の好奇心を煽る形になってしまったのだろうか。
理解は出来ないこともないがそう簡単に話してくれるとは思えない。
「いやぁ、そうなんだろうけどさ。気になるじゃん。」
「でも引退したくらいでそんなに騒ぐことか?」
俺の発言が理解できなかったようで都留はため息をついて、
「お前の好きな野球チームから主力選手がFA宣言したり突然引退発表したら驚くだろ。」
そう俺に分かりやすい例えを出してくれた。
「それってヤバくね。」
確かにそれは派手にヤバい。
「野球に例えないとわからないのかよ。」
都留の返答からは呆れて物が言えないとそんなふうに聞こえる。葛生に対してそこまでの情熱がないから分からなかったが野球の例えなら理解できる。
応援していた選手の引退はファンにとって本当にショックなのだ。やっと俺にも分かってきた気がする。
「人気絶頂なこんなタイミングで自ら退く判断を取ったってことは余程のことがあるんじゃないかな。」
俺がそう呟くと都留も同意するように頷く。
「ああ、それが分からないから凄くモヤモヤするんだよなぁ。」
「俺たちにとったら普通のクラスメイトなんだし、別に葛生がいなくなったりしないから別に良くないか?」
接点のない人間からしたらいなくなってしまうことに寂しさを感じるだろうが俺たちは同じクラスだし存在が消えるわけではない。
そう思えば俺たちサイドはそこまで傷つかないだろう。
「俺はアイドルとして見てるから。」
「本音は?」
俺がそう都留に詰めると一瞬目が泳ぎ焦った。その様子を俺は見逃さなかった。
「同じクラスでラッキーだったとは思う。」
都留は少しバツの悪そうな顔をする。
「そんな事だろうと思ったよ。ちょっとトイレ行ってくる。」
俺は混んでる教室にうんざりしながら、再びそこをかき分けながらトイレへと向かう。
用を済ませ教室に帰ろうとすると廊下に人がいなくなっていた。そして教室のいつもの雰囲気に戻っている。
「さっきまであんなに人がいたのにな。」
自分の席に戻ると、俺を待ってましたと言わんばかりに都留が後ろ向きに座る。
「さっき先生たちがきて他クラスに入るなって怒ったんだよ。それで皆蜘蛛の子を散らすようにいなくなったって訳。」
廊下まであんな状態だったから教師が注意せざる負えなくなったらしい。トイレに入っていても微かに誰かの怒鳴り声が聞こえたからそうだろうなとは思っていたがな。
「どうして俺の教科書ノートが出しっぱなしになっるんだ?」
机の上には乱雑にノートと教科書が積まれてあった。これを出した覚えは無いのだが。
「さっきお前の机が派手に倒されていたぞ。近くにいた人が拾ってくれてたけど。」
教科書には踏まれた後があったりノートが端っこが折れてたりしている。
「えぇ、ふざけんなよ。」
「ちなみに隣の葛生さんの席も倒されて、そこ一体教科書ノートがぐちゃぐちゃになってた。」
どうやら葛生の教科書ノートも俺のものと一緒になってしまっているみたいだ。
なんでこんな被害を被るはめになるのか。
それらを自分のものと葛生のものにざっくりと分ける。
「ごめんなんか大変なことになってたよね。」
俺が片付ける様子を見ていたようで、渦中の女子生徒葛生葵が慌てて駆け寄ってきた。
「葛生の教科書ノートも大変なことになってたしお互い様でしょ。」
はいこれ、とそれらを葛生に渡すと有り難うと申し訳無さそうに言われた。
葛生は俺からそれらを受け取ると教科書ノートを鞄から取り出したり入れ直したり身支度を始めた。
その時葛生のバッグのストラップに違和感を覚えた。
「なぁペンキチ外したのか?」
「うん、古くなっちゃったし。」
思い入れが無いとそういいたげな態度をする葛生に対してモヤッとしたものが奥底から込み上げてきた。
俺が葛生と自然に会話が出来ているのは一年の頃からの話の種であったペンキチのお陰だったのだ。彼女は東京ロンディーネのマスコットペンキチの大ファンだ。かなりのマニアであったはずなのにそれを外すなんて何があったのかと不思議でたまらなかった。
「そうか。そうだよな。」
葛生に伝えるつもりが自分に言い聞かせるような話し方になってしまった。
彼女の反応を見てもそういう返せなかった。だが葛生の中で色々あったのだろうとも察したので言及しなかった。
「騒ぎの原因になっちゃってごめん。」
葛生は自分が招いたとそういう顔をしてすっかり落ち込んでいるのが見て取れる。これは葛生が悪いと言い切れないだろう。昨日の今日なのだ皆気になってしまうのは当然のことだし、双方仕方がないことだと俺は思う。
「まぁ、そのうち治まるとは思うけどな。」
俺はそう励ますように言う。
「私が引退する理由をはっきりと言わなかったからかな。」
ポツリとそう呟く。
「いや悪くないと思う。」
都留が食い気味に話に割り込んでくる。
先程まで気になるとか言っていたのに本人を目の前にして調子の良い奴だ。
「多分辞める理由を知ってたとしても来るんじゃないか。」
俺は苦し紛れに葛生を励ます。
事実として葛生の影響力はかなり強い。ただここでそれを言ってもどうしょうもないので言及するのは避けた。
「……そうだね。」
彼女は下を俯き消え入りそうな声を出す。
俺はそう呟き、目に見えて落ち込む彼女に対して、気の利いた言葉のひとつもかけることができなかった。
「お前やっぱり葛生さんと親しげだよな。」
帰りのホームルームも終わりひとはぞろぞろと帰るのだが、都留は席を振り返りなにか言いたそうな勢いで俺にそう迫る。
隣の席の葛生も挨拶と同時に帰ってしまったのでこのタイミングを待ってましたと言わんばかりに都留は俺に話しかけてきたのだろう。
「一年のときも隣の席だったからな。」
「ちょっといい感じだったよね。」
声のする方を見るとクラスメートで都留の彼女の中村彩会が俺の席に近づいてきた。彼女はニヤッとして俺をからかってくる。
「今日も仲睦まじい様子でしたよ。」
都留も一緒になって俺をからかいクスクスと笑う。
「正直言うと俺はそういうのには興味が無いんだ。」
「そんな事言っちゃってさ。」
中村はまたまた、と俺を叩く。
「彩会、今日の一条はブルーなんだ。」
またもニヤニヤしながら俺の状況を説明する。
へこんでいる人間に追い打ちをかけるようなことしないでほしい。
「俺と葛生はロンディーネファンのペンキチ推しだったんだけどな。古いって理由でストラップを外していたことに驚きを隠せなかった。」
俺は彼女がそのストラップを苦労して手に入れていたことをきいていたのでなおさら驚きが大きかった。そして趣味仲間がいなくなってしまったことにまだ立ち直れていない。
「一条くんが勝手に仲間だと思い込んでいただけじゃないの。」
「やっぱりそうなのかな。でも楽しそうに話してくれたんだが。」
「お前みたい野球オタクと仲良くしてくれたことは施しみたいなものでしょ。」
都留はぐさりと刺さる酷い言い方をする。
プレミアムペンキチを手に入れたと嬉しそうに語っていたり、試合の様子を写真で見せてくれたりそんな野球愛のあった葛生は一体どこへ行ってしまったのだろうか。
「まぁ、趣味とかって変わることあるでしょ。私だってなんか合わないなって辞めちゃうときあるし。」
中村はまぁまぁ、と俺を慰めてくれる。
「そういうものなのかな。」
俺はスマホで彼女とやり取りした履歴を見直す。
「こんなにグッズを買っているのにか?」
俺は葛生が送ってくれた山のようにあるグッズの写真を見せる。
「これは相当集めてるな。」
都留はグッズの量に驚いている。
聞いた話によればこれはまだ一部らしい。
「これを見せられたら一条くんの気持ちも分かるかもなぁ。」
中村は納得してそう言う。
「俺は葛生さんが野球が好きって初めて知ったんだけど。テレビでも言ってなかったよな?」
都留は俺や中村に尋ねる。
「私も見ていたけどそんな一面があったなんてね。」
「一年の頃からがっつりファンだったよ。」
俺と葛生の仲を遡ると一年の頃なのだ。
だからこそショックが大きい。
「弱すぎてファンやめちゃったとか。」
去年最下位だった俺の贔屓チームは間違いなく弱いが葛生はそんなことでペンキチを嫌うはずはないと思っている。
しかし興味を無くしているのは事実のようなのでちょっぴり悲しくなった。
「とりあえずそろそろ部活に行かなきゃだから。それじゃあまた明日。」
部活に向かう時間なので鞄を持ち二人にそう告げる。
「うん、またね。」
中村はそう言うと横では都留はなんとも言えない顔をしている。
「そういえば今日は山田さんいるのか?」
山田というのはうちの部員の山田香織のことだ。俺の所属する文芸部は俺と山田の二人。少数精鋭で活動をしている。
「ああ、今日も一緒だ。」
少し前は事情があるとかで参加していなかったんだが今は毎日のように来ている。
今年の新入部員は誰もこなかった。それに彼女と衝突して出ていった部員も帰ってきていないので二人きりの活動が続いている。
「文化系の部活なのに毎日あるんだ。」
中村はへぇ、と感心している。
「本当は平日週二日休みだったんだがそれが山田権限で休み無しになってしまった。」
あいつは結構我を通すタイプなので俺は逆らうことができず、あれよあれよと決定してしまったのだ。
「なんだもう来ているんだ。一時期来ていなかったときって何やってたんだろうな。」
「さあな。突然一週間ほど来れないって言われてさ。今はしっかり復活しているよ。」
「山田さんと言えば先輩部員を追い出したって噂もあるもんね。」
中村は苦笑いしてそう言う。
「それは事実だからなんとも言えない。」
あれは見てる方が疲れるほど凄まじいものだった。思い出したくもない。
彼女はサバサバしていながら気が強い。だから先輩部員とのトラブルが絶えなかった。しかし今はわりかし落ち着いていると思う。
「山田さんと一緒に活動しててしんどくない?」
「俺はもう慣れたよ。本当にそろそろ行くわ。それじゃあまた明日。」
そう言ってため息をつくと二人は察したような顔をしていた。
俺は二人に苦笑いを浮かべ教室を出た。
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