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文芸部の部長
うちの文学部にはいつも通りの光景が広がる。
一つの大きな長机に俺と横並びに座るうちの部活の部長である山田香織。
彼女は元アイドル葛生葵に負けず劣らずの顔立ちをしているのだが性格があれなため、彼女は他の生徒からは浮きがちな生徒である。
だが彼女はとっつきにくく、いつも怒っているという訳ではない。
彼女の沸点は理不尽があったとき。
その地雷を踏まなければ上手くやっていけると思う。出ていった部員は皆その地雷を踏んでしまった人が大半だった。
俺は彼女と比較的上手くやれている部類に入るとと思われる。
「朝から一条のクラスを中心に騒がしかったわね。」
山田は興味があるのかないのか分からないような声のトーンで俺に尋ねる。
「葛生の引退騒動だよ。朝からうちのクラスはぐちゃぐちゃになってた。」
「そうみたいね。葵はどうしてかしらね。」
消え入りそうな声でぼそっと呟く。
本人は声に出していないつもりだったようで俺と目が合うやいなや、ビクッと身体を動かす。
「なにかしら。」
「別に、その呼び方からして葛生と知り合いとかなのかって。」
「そうよ、昔からの幼馴染み。」
これでも山田とは二年目になるのだがそんなことは今初めて聞いた。
「ふーん、幼馴染みなのに引退の理由を聞いていた訳ではないんだな。」
「ええ、そうね。引退したんだ、ってテレビでね。それだけのことじゃない。」
少し冷たいようにも見えるその返答にいつもとは違う山田の感情が見える。
「なにか怒っている?」
「別に。何もないけど。」
セミショートの髪がバサッと揺れた。
顔をこちらに向けじっと見ると躊躇いもなくさらっと答える。
「山田が他人の事で珍しく感情が入っているように見えたからさ。」
「別に。」
山田はつらっとした顔をする。再び本を読みだした。
彼女にしては論理的ではなかったし感情的にも見えたのだが。それはそうと山田にしては珍しいジャンルの本を読んでいるな。
「山田って恋愛小説好きだったか?」
「これは薦められたから。」
「ふーん、そうか。前に恋愛小説はむず痒いし好まないって言っていたからどうしたのかなと。」
恋愛小説なんてと邪険にしていたのにどういう風の吹き回しなのか。俺が以前実写化した青春系の小説を読んでいたら山田が熱弁してそれを否定してきた過去があった。
山田が読んでいる本のタイトルは君に春は訪れるのだろうかだ。
キミハルと呼ばれており映画化が決定したらしい。主演は今流行りの俳優さんと女優さんがやるというのは妹の咲子から聞いた。
それにずっとその小説を読んではいないだろうか。
今日というか最近の山田に違和感がある。
山田は俺の視線に気づいたのか眉間にシワを寄せて俺を見てくる。
「貴方そんなに私のこと見ていて何を考えているのかしら。本当に気持ち悪いわ。」
そう俺に言い放つと、きっ、と睨みつける。
「ここ二週間ほどずっと同じ本を読み続けているお前もおかしいと思うけどな。」
「そんなところまで見ていて。」
「それに山田ならそれくらいの薄さなら直ぐに読み切れそうだけど。」
「もう五週目に突入したの。」
「そんなにハマったのか。」
てっきり集中できていないだけかとおもっていたが、そこまでハマっていたとは。
山田が一つの作品に入れ込むなんて珍しい。
「私のことはいいとして、貴方こそいつも以上にテンションが低いわね。」
山田にしては鋭い。
俺のことなど気にしてないとそういう態度をよく取られてしまうのだが気にしてくれたようだ。
でも俺は部室に来てからはそういう態度は取っていない気もするがどこで気づいたのだろうか。
「つまるところ趣味仲間が一人減ったんだ。」
「そんなつまらないことで。」
ピシャリと言い放った。
「趣味変わっちゃったのかな、って。」
「趣味が変わるのは普通のことじゃない。どうして貴方がへこんでいるのかしら。貴方がおかしいんじゃないかしら。」
確かに俺は趣味が変わったわけでもないのに人の事であれこれ思うのは変に見えるだろう。
「あんだけ熱く語ってたのに、好きだって言ってたものを簡単に変えるのはあいつじゃない。」
「人は変わるものよ。」
山田はそう言い切った。
妙に俺の目をまっすぐ見て言うものだから戸惑う。
「変わってしまったことを嘆いても仕方ないでしょ。また捜せばいいじゃない。趣味仲間くらいどこにでもいるでしょう。」
「励ましてくれているのか、ありがとう。」
山田にしては優しい回答をしてくれたと思う。
この流れならいけるかもしれない。
「今日ここで課題やっていいか。明日野球見に行く予定だから終わらせておきたくて。」
「それくらい家で終わらせればいいのに。」
そういいつつ、やればいいじゃないと俺に言う。
とはいえ文学部の部長から許可を得たので課題に取り掛かろうか。最近山田は丸くなってきたと思う。
以前ならそんな自分勝手をと、怒ってきそうだが今は違うな。俺と山田にようやく信頼的なものが積み上がってきたのかもしれない。
俺は早速課題に取り掛かろうとスクールバックからノートを取り出すために鞄を漁る。
探す過程で見覚えがないノートが出てきた。
「なんか知らん人のノートが入ってた。」
そのノートは表紙が茶色でマスキングテープでお洒落にコーティングされている。
明らかに俺のではないと誰でも分かるだろう。
「そのノートどうしたの?」
「あー、朝俺の机と隣の葛生の机が派手に倒れたみたいでその時混じってしまったんだと思う。」
「本当に彼女のもので間違いないの?」
「うーん、多分葛生のもので間違いないと思うけど。一応開けて確認したいんだがな。」
でも勝手に読むのはな、と躊躇していると山田がその様子を見てなのかため息をつく。
「確かめるためにも読むしか無いじゃない。」
罪悪感を感じながらもノートを適当に捲る。
日付が書いてあったのでこれは日記だと分かった。
「女子の日記とか尚更読みづらいんですけど。」
他のページも確認するがその人を特定できそうな人物名などが出てこなかった。
主に日常の出来事を書き記していたようで普通の生活日誌にしか見えなかった。
しかし豆なようで一ページ毎にびっしりと文字が詰められていた。
しかし、これでは本当に葛生のものなのか分からない。
「私にも見させて。」
俺の横に椅子をつけるようにして近づいてきた。
そして山田はおれから日記を奪い取るようにして食い入るように見ていた。
「お前なぁ、そんなにまじまじと見るものではないと思うんだけど。」
しばらくの間、それも最初のページから終わりまでその日記をじっくりと読み進めている。
勝手に読まれる葛生も可哀想だが俺は彼女から反撃を喰らいたくはないのでそっとしておいた。
「このノートの持ち主が分かったわよ。」
ノートを閉じて突然そう呟いた。
「結局誰のものだったんだ。」
「葛生葵のものよ。」
やはり俺の予想通り彼女のものらしい。
「やはりそうだったか。それにしてもよく彼女のものだって特定できたな。」
「オーディションとか芸能人とかそういうワードが沢山あったし誰でも彼女とわかると思うわ。」
隣で俺も横目で読んでいたのだがそういうワードあったかな。ただし、あれだけじっくり読んでいたらそれはそれで分かるよなとは言えなかった。
「これ明日にでも返すかな。」
本当は早急にでも返すべきなんだろうが。
「仕方ないわね。私が連絡しておくわ。」
「本当か、ありがとう。助かった。」
山田が葛生に連絡してくれるようでこれにて解決といきそうだ。
山田は早い手つきでスマホをフリックしている。
「今からこっちに来るって。」
「もう連絡がきたのか。」
「彼女も捜していたみたいよ。」
ふーん、と返事をする。そりゃあ自分のことが事細かに書かれているものを失くしたとしたなら必死に捜すだろうな。
このやり取りから数分程しか経っていないのだが、葛生が来た。
彼女は相当急いだのだろう。少し息を切らしながら部室に入ってきた。
息を整えるといつもの調子に笑ってみせた。
「一条くんの鞄に紛れてたって聞いてさ。」
葛生はそう言うと額を拭う仕草をした。
「俺の確認不足だった。あの時混ざっちゃったみたいだな。」
朝もう少し確認しておけばこのような事は起こらなかったかもしれない。そう思うと申し訳無かった。
「ううん、お互い様でしょ。」
葛生はにこり、と笑う。
「香織、久しぶりね。連絡ありがとう。」
葛生は山田の方を見てそういって微笑む。
「別にいいよ。」
山田は本を読みながら大丈夫と返答した。
俺と話すときは別にとしか言わないのに、葛生と話すときは語尾が優しくなっているように感じる。
「二人が幼馴染みだったなんて初めて聞いたよ。」
俺がそう言うと葛生はそうだねと相槌を打つ。
対象的に山田は俺の話を聞いているような素振りを見せず本を読む。
「うん。幼馴染みだし友達だよ。幼稚園の頃からずっと一緒なんだ。」
と、口元を手で抑えてにこりと微笑んで答える。
「小中学生の頃はクラスまでずっと一緒だったよね。」
俺はへぇ、と思い山田の顔をちらっと見ると、その視線に気づいたようで彼女は眉間がピクッと動き、ムッとするような顔に変わった。
「ジロジロ人の顔見てなんなの。」
山田は明らかに不機嫌な顔をして俺を咎める。
「ジロジロは見ていないし深い意味はない。そんなに怒らなくてもいいじゃん。」
「別に怒っていないわ。」
そうは言いつつも声のトーンはいつも以上に低く不機嫌そのものだと分かる。
葛生はというと変わらずにこにこと朗らかな顔をしている。まるで俺たちの会話を聞いて微笑ましいとでも言いたげなそんな様子だ。
「葛生はどうして笑っているんだ?」
「ふふ、別に。」
「葵、もう用は済んだでしょ。」
「もう少しだけ。だめかな?」
葛生は山田に窘められるがお願いと頼んでいる。
「貴方は文芸部の人間ではないのよ。」
幼馴染みといえどはっきりした物言いは変わらないようだ。
「へぇ、言うようになったじゃない。」
葛生はそう言い切ると控えめに笑う。表情は一瞬凄く冷たいふうに見えたのだが直ぐにいつもの葛生の顔に戻る。彼女の声のトーンは柔らかいのだが葛生が普段使う言葉遣いとは違うキレがある。
山田は一瞬ビクッと身体を動かすが目線と手は止まらず本を捉えている。
「二人ともちょっとだけ当たりが強いように見えるが。」
「あらいつもどおりじゃあないかしら。」
「え、どういうこと。よくわからないよ。」
俺は山田と葛生になぁ、と問いかけるが二人ともそんなことないと口々に言う。
「それはそうと香織はもう少し優しくしてね。」
葛生がそう山田を窘める。
ちらっと山田を見てみると気のせいかもしれないが山田はまた怒っている感じがした。
「葵こそ人間関係とかなんとかしなさい。」
いきなり互いを咎め始める両者。
もしかして仲良くないのかもしれない。俺の中でそういう推測みたいなものが出来上がってしまう。
俺たちは一斉に沈黙した。
数秒後、突然葛生があ、と何かを思い出したような声のあげ方をした。
「あのさ話は変わってしまうのだけど、一条くんこれの中身読んだりしたかな。」
葛生はノートを指さして俺に尋ねてくる。
「え、ああ。」
俺が見てしまったと答えようとする。
「二人とも読んでないわよ。表紙を見て貴女のだと思ったから連絡したの。」
山田は俺の話を遮り何故か嘘をつく。
「そっか二人ともありがとう。それじゃあね。あたし帰るから。」
「おお、また明日。」
彼女は帰り際手を振って教室を出ていった。
「なんで嘘ついたんだ。」
葛生が教室を出た直後にそう質問をしていた。
俺は疑問に思った。幼馴染みで友人でもあるのにこういうことをしてしまうとは思わなかった。
それに山田は理不尽を嫌うはずなのにこういう嘘をつく人間ではないと思っていたから尚更気になった。
「別に。」
彼女はいつもの調子で興味無いと俺に突きつけるように言い放った。だがその口ぶりにはいつものどうでもよさのようなものは感じられず、歯切れが悪く聞こえる。
「別にじゃないだろ。葛生に嘘をつく必要はあったか?」
俺にしては珍しく語気が強くなってしまった。そのため山田は一瞬身体をビクッと強張らせた。
攻めるつもりは無かったのだが、つい口調が荒くなってしまった。
「その、これは。一条くんの心に閉まっておいて。ごめんなさい。」
彼女にしては珍しく動揺していた。いつも意見がある時は俺の顔を見て主張するのだが今は俺と目を合わせず弁解していた。
ここで彼女の調子がいつも通りでないことに今気づいた。
彼女は俺を一条くんとは呼ばないからだ。
思い出してみれば、葛生と話すとき山田は一切彼女の目を見て話をしていなかった。
彼女にもなにかしらの事情があったのかもしれない。そう思うと罪悪感が芽生えてきた。
俺は彼女にそこまで強く言う必要は無かったと反省した。
「強く言い過ぎたかもしれない、ごめん。」
俺は山田に謝る。
彼女は俺に一切目を合わせることなく別に、と呟く。
部室はとても重苦しい雰囲気に包まれている。ここで課題に取り掛かれる気にもなれなかった。
鞄から読みかけの本を引っ張り出し読書に切り替えた。
なんとも言えない空気のまま今日の部活は終わりを迎えたのだった。
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