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ゲームセット後の告白
今日は雲ひとつない澄んだ青空をしている。
遠くのビル群が霞むことなくはっきりと見える。
今日は絶好の野球観戦日和だ。
俺の応援するチーム、東京ロンディーネは都心にある屋外球場のため天気が良いと気持ちがいい。
雨の日の観戦は当然辛いのだがそれもまた味がある。
チケットに書かれた席へと座る。
一番安価なのが外野席なのだ。しかしバックスクリーンのモニターがはっきりと見える席のため問題はない。
ただ、いつかはバックネット裏で試合をじっくり見れたらなあとは思う。その席は外野席とは比べものにならない程高いので社会人になってからだとは思う。
現在、選手たちはグラウンドで守備練習をしているようだ。これをじっくり見るのもいいのだが、ご飯の時間もあるので今のうちに食事を済ませておこうと思う。
外野席では攻撃中立って応援する。
なので食事をする時間はほぼない。だから今食べておくのがセオリーだ。
そんな事構わず座って食べてればいいじゃないかと思う人もいるだろうが、外野席では座ると目立つからあまりいい気がしないのだ。
ゆっくり見るなら内野席に行くほうが角が立たないと思われる。
とりあえずなにか食べられそうなものを買いに行くか。
俺は席を立ち上がる。
外野席の裏手をいくと店屋が並び出入り口へと繋がっていく。
ここの店屋には美味しそうな物が沢山売っているのだがそれらは財布に優しくない。俺は球場飯の中でも定番中の定番であるノーマルであるのり弁当を買う。
本当ならその横にある店の選手プロデュース弁当が食べたいのだがやはり高いので手が届かない。
グッズ代の分もあるので食事は我慢だ。
手に弁当を持ち客席に戻ろうとすると見覚えのある顔に気づいた。
どうしてここにいるのだろうか。
驚きと何故なのかが頭を支配した。
俺はどうにも気になってしまい話しかけに行った。
「お、おう。こんなところで会うなんて偶然だな。」
「え、そう、そうね。」
そこには鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている山田香織がいた。
彼女は俺に話しかけられた刹那どこか呆気にとられている様に見えたのだが、段々といつもの表情に戻っていった。
この前のこともあり様子を見て慎重に話をすることを心がけなくては。
ここで部活のときの話をここでしても仕方がないので野球の話題を振ったほうがいいんだよな。
「山田ってロンディーネファンだったっけ?」
俺は当たり障りの無いようにそう聞いた。
「いえそういう訳ではないけど。」
山田は興味が無いとそういう顔と声のトーンをしている様で俺の意見を真っ向から否定した。
だが俺にはそういうふうには聞こえなかった。
「ばっちりユニフォームまで着てるのにか?」
「そうね。」
彼女は開き直ったように答えた。
山田の格好は下はジーパンだが、上はロンディーネユニフォームに背番号はペンキチのデビュー日が刻印された零四零九。
手持ちのバッグにはペンキチのストラップが付いている。これは人気でネット販売ですぐ売り切れてしまったというプレミアムペンキチでこれを見ただけでもこちら側の人間だとすぐにわかる。
「プレミアムペンキチまで持ってる玄人だったとは。」
山田は諦めたとそういう表情をしている。
「……ペンキチは好きよ。」
彼女は観念したように話しだした。
ロンディーネファンは東京では下町感溢れるチームで王道ではない。周りでなかなか見かけないのだがまさか山田が好きだったとは。
そう思うと少しおかしくて笑ってしまった。
「なぜ笑っているのかしら。」
困惑しながら答える山田。
「来週の部活のときでもゆっくり話をしようよ。せっかく共通の趣味が出来たのだからさ。」
せっかく話せそうな同士が現れたのだ話したい。そういう気持ちで誘うと山田は唇をぎゅっと噛み締めコクリと小さく頷く。
「葛生もペンキチファンだったんだけどな。」
俺はついあいつの話題を出してしまった。
すると彼女ははっとした顔をする。
「そう。彼女のことだったのね。」
どこか納得したようで頷きながら呟く。
そして俺をじっと見つめる。
「試合が終わったら少し話をしましょう。出口のところで待っているから。」
彼女はそれだけ言うと俺の返事を聞かず行ってしまった。
席に戻るとスターティングメンバーが発表され、いよいよプレーボールの時間が近づいてきた。
山田のことが頭に浮かぶのだが今は目の前の楽しみに集中しよう。
そう思い弁当をぱくつき試合に備えた。
試合は初回先発投手が二失点と幸先悪いスタートを切ってしまう。
そこから七回まで硬直状態。
そろそろ点を取ってほしいものだ。
ラッキーセブンになり球団歌に合わせて人々がタオルを振る。バックモニターにはファンがノリノリで応援して次の回の反撃を待つ。
こういうのは現地ならではの光景だ。
スクリーンを見ていると山田が俺が見たことないくらいの笑顔でタオルを掲げていた。
山田が楽しそうに映る姿を見て困惑していると球団歌は終わってしまった。
試合後俺は球場の出入り口付近で待つ山田を見つけて急いで駆け寄る。
「すまん待ったか?」
「いえ、そんなことはないわ。着いてきて。」
駅の方向とは逆に歩みを進める山田についていく。
しばらく歩くと銀杏並木の通りまで来た。
山田はベンチに腰掛けるとぽん、と自身の横を叩き座れと合図してきた。彼女に習うようにして俺もベンチに腰掛ける。
しばらく沈黙が続く。これはとても気まずい。
俺は部活のことでお互い気まずくなってしまったというのもあり、どう話しかけていいのか戸惑っている。
だがどうにか沈黙を破らなくてはと思い今日の試合について振り返ることにした。
「負けちゃったな。初回の失点が痛かったな。」
「そうね。でも打線も良くなかったわ。チャンスで打てなかったし。」
山田は眉間にしわを寄せ、むっとしたような顔をしながら言う。
「デーゲームは本当に勝てないよな。」
ロンディーネの課題はデーゲームに弱いことなのだが、ファンとしては昼でも夜でも勝ってほしいものである。俺がそうぼやくと山田はうんうん、と同意していた。
「そうね。これからの観戦はナイトゲームを選んだ方が良いかもね。」
勝ちゲームを見たいならそれの方がいいかもしれない。同意の意味も込めて俺も大きくうんうんと頷く。
山田は急に横を見て俺をじっと見つめる。
「あなたに言わなければならないことがあるの。信じられないと思うけど最後まで聞いてほしい。」
山田からはただならぬ覚悟のようなものを感じた。今まで見たことないくらい本気の顔をしているのだ。
彼女の声も低く大事な話なんだなと悟った。
「しっかり聞くから。」
俺がそう言うと眉間のシワが緩み、山田の放つ独特な雰囲気が少し緩んだように感じた。
彼女はふう、と一息入れる。
「私の名前は葛生葵。幼馴染みの山田香織と入れ替わってしまったの。」
俺はまさかの告白に驚く。
葛生の名前が出てきたよな。え、今入れ替わりと言ったのか。
「それって一体どういうことなんだ。それだけでは全く理解ができなかった。」
「経緯をしっかり話すわね。最後まで聞いて。」
山田の剣幕に押されてしまい、色々とつっこみたい衝動を我慢する。黙って彼女の言い分を聞くことに徹することにした。
「ああ、分かった。」
「ちょうど先月のことよ。春休みを利用して私家族と香織家族でお出かけをしたの。そこで端的に言うと事故が起こった。私と香織が階段から転がり落ちるように倒れたてしまって怪我をした。本当に一瞬のことだった。二人とも気を失い目が覚めたら私と香織の人格が入れ替わってしまったの。」
「そんなことあるのか。」
まるでマンガのような展開を聞かされたのでこういう感想しか出てこなかった。
「ええ、色々病院やカウンセリングを受けたけどどうにもならなかったわ。」
「現状どうしようも無かった私達はそれを受け入れてお互いの人生を歩むことを決めたの。」
「私達ってことは他にもその事実を知っている人間がいるってことなのか?」
「ええ、私と香織の家族全員が周知の事実よ。」
「家族はどういう反応だったんだろう。よくこういう話をして信じられたな。」
「話をしていく途中で気づいたみたい。」
「お互い顔は変わっても両親は変えない選択を取ったの。」
「え、それって山田の容姿で葛生の家にいるってことか?」
「ええ、そうよ。」
葛生は平然とそう答えるので俺は驚きを隠せなかった。よく家族はそれを受け入れられたものだ。
「最初は家族も戸惑っていたし、そういう様子を見ている私自身もしんどかった。」
「それ以上に香織を演じることが大変だったよ。特徴掴むのに時間かかったし。」
山田だしそれは分かる。彼女は癖が強いというか灰汁があるというかちょっと変わっているのだ。
ふと気になる事があった。
「もしかして芸能界を辞めたのってあいつの意思だったのか?」
「彼女は葛生葵の人生を受け入れようとしなかった。山田香織としてその決断をしたみたい。」
それで葛生は引退について微妙な顔をしていたのだろう。ここでようやく腑に落ちた。
「私達家族ではそれを到底止められなかったし香織の両親からはごめんなさいって言われちゃった。」
その一言で終わらせてしまうのは、彼女のオーディションに挑む過程を知っているだけに可哀想な気がする。
「そういえば家族には入れ替わりをどうやって信じてもらったんだ?」
俺はそう言って話題を変えた。
「昔の話とか色々してなんとか。」
家族はそれでよく受け入れられたと思う。家族の絆というやつだろうか。
「ふふ、じゃあさ色々私に質問してみせてよ。」
葛生は俺にそう尋ねる。
「じゃあ今で見てきた中でのベストゲームは?」
「八点差逆転サヨナラゲームかしら。」
葛生は嬉しそうな顔をして言う。
この試合は投手崩壊によって三回終わって八点差つけられた。しかし野手が意地をみせ逆境を見事跳ね返す最高の勝ちゲームを見せた。それが彼女のいう八点差逆転サヨナラゲームの内容だ。
「私が現地に行って初めてのサヨナラゲームだったし、今もあの光景を鮮明に覚えているよ。」
この試合は出来が良すぎたゲームだった。こういうメイクミラクルを生で見られることができて羨ましいと葛生と話した覚えがある。
「あとは田中選手の三打席連続ホームランもいいし川崎選手の一人六打点の試合も良かったね。」
これらも想像を絶する試合の数々だ。
凄いのはこれらの試合をすべて現地で見てきたというところだ。この話も葛生から前に聞いたときガチなファンが現れたと俺は驚いた。
「語り継がれる試合ばかりだな。」
「そうだね。今日は勝てると思ったんだけどな。私の現地観戦の勝率悪くなかったんだけど。」
「でも一条くんに忖度するなら私の始球式に来てくれたあの試合がベストゲームかしら。」
何処か自信過剰にもみえるにこりと微笑む。
これは俺が葛生が始球式をすると聞いて見に行った試合だ。サインを貰ったと嬉しそうな葛生に心底羨ましかったそんな思い出がある。
「俺の大好きな選手は?」
「一人に絞りきれない、でしょ。」
彼女は間髪入れずにそう言い放った。
俺は好きな選手がだれとかそういう話は葛生としか話をしていない。一人に絞りきれないと確かに葛生に言った覚えがある。
「じゃあ最後の質問。ペンキチの特技は?」
「大喜利だよね。そうそうこの前ペンキチのトークショーに応募したんだけど落ちゃってさ。」
悔しいと言いながらも彼女の表情は暗い顔などしておらず、好きなものを一心不乱に語る葛生葵そのものに見える。
顔は山田香織なのだが話している内容から口調まで葛生葵そのものに見えるのが不思議だ。
「不思議と本当に葛生見えてきたよ。」
「信じてくれるかな?」
彼女は真っ直ぐ俺を見つめてそう言った。
「まだ何とも言えない。正直困惑しているんだ。」
俺の返答にどこか納得したかのように彼女は頷いた。
「ねぇ、この後夕食とかどうかな?」
彼女は俺にそう尋ねる。
「俺もお腹すいたしいこうか。」
「今日の残念会と行こう。」
葛生が元気いっぱい、にこりと笑う。
ファミレスまで距離があったのだが、その間も俺と葛生は野球談義をし続けていた。
会話自体は自然なので特段気まずさというのはなかった。
ネットで位置情報を確認しながらなんとか目的の場所についた。ここは学生にも優しいファミレスである。
席に座ると店員さんから水とメニューを渡された。
彼女はそれらを受け取ると、にこにこしながらメニューを眺めている。
こうしてよく見てみれば葛生の痕跡が多々見られる。いつもの山田ならここまで笑顔を見せるような人間ではなかったし、笑ったとしても控えめに笑う。
あと俺と食事なんてもってのほかだろう。俺への態度が柔和していたのは信頼ではなくて葛生だったからだと思えば筋は通る気がした。
俺は葛生や山田を分かっていた気になっていただけで全く分かっていなかったのだと感じた。
「そんなにぼーっとしてどうしたの。」
彼女はそう言って俺の顔を不思議そうに見つめてくる。
「いやなんでもない。」
小首を傾けてそっか、と返答する。
「私、ファミレスってなかなか来たこと無かったんだよね。」
彼女は興味津々とばかりに辺りをキョロキョロ見渡しながら言う。
「意外だな。クラスメートと一回くらいは行ったことくらいあるんじゃないか?」
「全然そんなことないよ。仕事が忙しくて学校の友達とこういうところに行ったことなくて。」
身振り手振りをいれながら否定する。
俺はそれにそうか、と相槌を打つ。
こういう少しだけずれている所に彼女の特別さを感じられる。
「俺はこれにするけど葛生は?」
俺はメニューに表示されている安いグラタンを指差す。
「あ、うん。私も同じものにするね。」
「了解。」
「あのさ、今は山田。いえ、香織でいいから。」
彼女は我慢するように上唇を少し噛む。
「でも一応葛生なんだろ?」
「うん、でも受け入れなくちゃって思って。」
「人前でなければ葛生でいいんじゃないか?」
「そうだよね。じゃあさ葵って呼んで。」
「俺はそういうふうに呼んだことなかったけど。」
「私が私じゃなくなる気がするから。」
伏し目がちに言う。
彼女は山田香織を受け入れようとしているがやはり抵抗はあるのだろう。彼女の自我は葛生葵ということがはっきり分かる。
「じゃあ二人きりのときは葵って呼ぶよ。」
「ありがとう。あ、このドリンクバーってつけたほうがいいのかな?」
彼女はメニューを指差しながらにこりと笑う。
「まぁ、どっちでもいいと思うけど。せっかくだし頼んでおこうか?」
「うん。」
葵は一回大きく頷いた。
インターホンで鳴らしてお互いのものを注文する。
「ドリンクバーって凄いね。」
「本当に来たことなかったんだな。」
「さっきも言ったし。本当だもん。」
俺が疑っているように感じたみたいで口を膨らまして抗議する。山田の顔でそんな口調や行動をされるとなんだか調子が狂う。
「別に疑っていた訳ではないんだ。戻ろう。」
俺はジンジャーエール、葵も俺と同じものを選んでいた。
「どれにしようか迷っちゃって。同じものにしちゃったよ。」
葵はどこか気恥ずかしそうにしながらもにこりと笑顔を見せる。
本当に彼女はよく笑う。
二人で席へと戻ると話はやはり入れ替わりの話題になった。
「入れ替るなんて本当に災難だな。」
「うん。まぁね。最初はみんなに信じてもらうまでが大変だったかも。」
「この入れ替わりについては私達の他にお医者さんを筆頭に事務所の社長さんマネージャーさんお互いの両親がコレを認知しているよ。」
葵は指を折りながらこの件の関係者を次々と挙げていった。
「意外といるんだな。」
「うん、そうだよ。相談いっぱいしたからね。」
医者や周囲の人間が科学とかそういうもので説明ができないなにかの話を急にされて納得できるものなのだろうか。
デリケートな話題なため聞くのは辞めておいた。
「葵はどうして俺に入れ替りを話そうと思ったんだ?」
「それは私が一条くんと仲が良かったと思ってたから。」
「そうか。」
ストレートにこういうことを言われると少し恥ずかしい。
「一条くんが私がファンを辞めたと思いこんでへこんでいたとき、実はちょっと嬉しかったんだ。でもそれ以上に本当のことを言えなくて申し訳ないとも思った。」
「まぁ、そうだな。」
何がそうなのか自分で言っていて分からない。
こういうのに慣れていないから困る。
「でも私を見ていてくれたって思うと本当に嬉しかったよ。」
この日一番の笑顔を俺に向けた。
彼女の真っ直ぐな感情に当てられてしまい少しだけ顔が熱くなった気がした。
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