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山田香織は通常運転
先日、俺が知った事実。それは葛生葵が山田香織で山田香織が葛生葵になったということだった。
なんともややこしいのだが、簡潔に言うなら二人の人格が入れ替わったということだ。
俺自身それを簡単に信じられるかと言えばそんなことない。だが二人の言動の些細な違和感を思い出すと不思議と腑に落ちてしまう。
葛生が野球どころかペンキチに興味を示さなくなったり、山田が何故だかしおらしくなったり違和感というのは確かにあった。
俺は彼女たちと偶然接点があったため気づけたのだが普通の人間は全く気づけていないだろう。
そのくらい彼女達の非日常が俺達の日常に溶け込んでいたということだ。
俺が葛生の話で驚いたのは顔が違うのに本当の両親と一緒に過ごしているところだ。顔が違うと違和感みたいなものがあると思うが家族はよく上手くいくなと。
ところで俺は今何をしているのかというと図書室に借りた本を返しに行く途中だ。
きっかけは山田の容姿をした葛生葵の一言だった。
「この本読まないから返却しちゃわない?」
この一言で俺が返却しにいかないといけなくなってしまった。
文芸部の名前で本を大量に借りていたのでそれを返却するために重い本をこしらえて図書室へと向かう。階段を登らないと行けないのが地味に辛い。
葵も少しくらい手伝ってほしいのだが、キミハルを熱心に、いや狂ったように読んでいるため仕方無く俺が一人で持っていくはめになってしまった。本に夢中なところは彼女たちの数少ない共通点と括れるだろう。
図書室に入室するとしんとしている。室内には生徒はおらず図書委員の二人だけがいる。彼らは返却係をしている。ちなみに俺は通いすぎて名前を覚えられている。勿論山田もだ。
「これ返却お願いします。」
「はい。」
ロングヘアーの女子生徒が手慣れた手つきで淡々とバーコードを読み取っている。隣りにいる男子は手伝うことはせずただ眠そうに欠伸を忙しそうにしている。
一人五冊まで、部員全員で十冊。これらは俺たちが読むのではなく山田だけが読むために借りていた。
本大好きな山田がこれらに一切手を付けなくなったときが入れ替わりのタイミングだったのだろう。
「いえ、いつものことですから。」
「また山田さんなの?」
男子生徒は苦笑いしている。
「そうみたい。」
女子生徒は男子生徒に視線を軽く送り答える。
「延長して借りますか?」
「いえ、完全に返却します。」
「分かりました。」
「あ、返却はやっておきますよ。」
「いえ、ずっと文芸部で借りていたので責任を持って元の場所に戻しておきますね。」
図書室の利用者はお世辞にも多くない。どちらかといえば隣りにある自習室のほうが賑わっている。
タイトルを見てあちらこちらに戻しに回る。
本のジャンルは彼女の好きな歴史小説や純文学が多いのだが中にはファンタジーものも入っている。
意外にも彼女はこういうのも好きなのだ。
まさか山田自身はファンタジーな体験をするとは思ってもみなかった事だろう。
すべてを返却し終えて図書室を出て文芸部の部室に戻るため、階段を降りようとする。
「あの、俺と付き合ってくれませんか?」
屋上へと続く階段の踊り場から男の声がした。
その内容に一瞬ドキッとした。告白しているようだ。
「ごめんね。付き合うとかは考えていないから。」
聞き覚えのある声がした。
声は葛生葵そのものだ。しかし彼女の人格は山田香織である。
その声音は山田が出したとは思えない程優しいものに感じた。
慌てて降りてくる男子生徒は俺を見て逃げるようにして階段を駆け下りていった。
悪いことをしてしまったな。
俺は立ち去ろうとすると今度は彼女とかち合ってしまった。
彼女の目は明らかに怒っていた。
彼女は俺を見るやいなや、はぁ、とため息をつく。
そして人差し指で階段を指して下に来いと合図をする。
つまりついてこいと言うことだろう。彼女はこういう曲がったことは嫌いな性分。
多分覚悟しなくてはならないくらい怒られる。
「告白を見るなんて悪趣味じゃない?」
開口一番声の低さから彼女の心情が分かってしまう。
「すまん、事故みたいなもので。」
「あの人は一応真剣に好きって言ってくれたんだけどそれを踏みにじるようなものでしょ。」
「マジでそういうつもりではなかった。悪いとは思っているんだ。」
「はぁ、そうですか。なら黙って立ち去るべきでしょ。」
「それはまぁ、そうだけど。」
「貴方が告白してそれを盗み聞いた奴に嫌な気持ちにならないわけ?」
「いや、そうだな。返す言葉もないというか。」
「もういいわ。次からは気をつけなさい。」
口調はもう山田そのものだ。山田もこのことに気づいたようではっとした表情をする。
「貴方に話しておきたいことがあるから。いい加減隠しておくのも面倒だし。」
観念したような表情の山田。
「薄々勘付いているかもしれないけれど、私の名前は山田香織。葛生葵と入れ替わってしまったの。」
意を決したように目で訴えかける。
葵が俺にそれを告白したときもこういう雰囲気だったな。デジャヴ感を覚える。
「それは知っている。葵から聞いているよ。」
俺がそう言うと山田は一瞬驚くような素振りを見せる。
「……そう。それなら話は早そうね。」
「本当に入れ替わってしまったみたいだな。」
信じていない訳ではなかったがこちらの反応を見ると改めて本当なんだと思ってしまう。
「こっちはいい迷惑よ。」
葛生を演じることなく山田としてそう言い放った。
ただ、怒っているというよりかは困ったとか、そういうトーンで話しているように聞こえた。
「それは葵もだろうけどさ。」
彼女はそうね、と呟く。
「私としてはもう貴方と無理に関わる必要がなくなったからよかったわ。性格悪い。」
「そういう言い方はないだろ。本当に悪かったって。」
そう謝る他なかった。
「別に気にしていないしそんなに引きずらなくてもいいわ。気持ち悪いし。」
口を手で抑え俺をからかうように笑う。
この手を抑えて笑う仕草は山田特有の笑い方だ。
「葵から貴方との人間関係を良好にしておいてと言われたから、嫌々貴方との話しに付き合っていたのよ。二人とも私に感謝してほしいわ。」
当の本人はケロッとしながら話すがそれで上手くやれていたと言える自信は一体どこから湧くのだろうか。
「山田基準であれは上手くやれていたというのか。」
「……興味のない話題についていくのはめんどくさいのよ。」
不本意と言わんばかりに俺から目を逸らす。
「いずれは貴方にも説明しなければと思っていたから。」
「その為には、まずは信じてもらうところから始めなくちゃいけない、って事だろう?」
「ええ、たとえ懇切丁寧に説明したとして、それを理解してくれないと事故のショックとして片付けられてしまうから。」
「何かあったら言ってくれ。俺が助けられたら助ける。山田には借りがあるし。」
「まぁ、そうよね。できるなら入れ替わりをなんとかしてほしいわ。」
「それは無理だ。人知を超えている。」
俺が少し笑いながら言うと山田も微笑むが、その笑みは苦笑いが混じっているように見えてしまう。
「まぁ、今後も同じ部員のよしみとして私に話しかけるくらいは許してあげるわ。」
「お前はもう文芸部ではない帰宅部だけど。」
部長のように振る舞う山田にツッコミを入れる。
「それは言わない約束でしょ。」
山田は口元を隠して笑う。
「俺は二人の入れ替わりを認知しているんだ、戻って来れないことはないが。」
「この身体では無理よ。なにやっても目立つと思うし迷惑をかけてしまうわ。」
確かに葵が部活に入部したと知られれば、同じ部活に入りたがる人が出てきそうだな。
「この入れ替わりが物語だったら良かったのに。」
山田は目線を上げて切なそうな声でそう俺に問いかけるように呟く。こういうのを見ると山田は山田だなと感じる。
「その文学少女の様な言い回しを聞いていると山田なんだなって思うよ。」
笑いがじわじわと込み上げてくる。本当におかしくてたまらない。彼女は時々ロマンチックみたいな言葉の言い回しをする。はっきりとした物言いで気の強い彼女がこんな台詞を言ってのけるのだ。
「何がそんなに笑えるのかしら?」
眉間にしわを寄せ低い声で俺にそう尋ねる。
「すまん怒らせるつもりはなかったんだ。でも久々の山田って感じで、ついな。」
「意味がわからない。」
山田は不機嫌そうに返答する。
「最近の山田には見られなかったいつもの山田が見られて良かったよ。」
今の山田は優しくて張り合いがないというのもある。そのくらい新しい山田には違和感を覚えたのだ。
「文芸部といえば今度の文化祭の出し物どうしようかしら。」
「……完全に忘れていた。」
文芸部では伝統で毎年小説を出展している。去年は山田の作品が一番売れて彼女なりにも手応えを感じていたはずだ。そんな彼女は今年どうするつもりなのだろうか。
葛生は本当にどうしようからしらと、呟くと髪の毛の先を触り何かを考えているようだ。
「難しそうだな。」
「私が出来ないことはないんだけど。ただ。」
そう言うと俯いて自分の広げた手をじっと見つめている。彼女の横顔が寂しく見えた。つまりこう言いたいのだろう、葛生葵では難しいと。
「あ、葵ちゃん。」
手を振るのはクラスメートの女子だった。小走りでこちらに駆け寄ってくる。
「あ、ごめん。邪魔しちゃったよね。」
俺がいたことで何かを察したらしくごめんと謝られた。客観的に見ると俺が告白しているように感じるだろうな。俺は慌てて否定しようとするが言葉がまとまらなくて図星を突かれたようになってしまった。
「この前借りていた物を返そうとしてたの。小説なんだけどね。あと漫画も借りていたからここでこっそり。」
山田は慌てることなく告白を否定してもっともらしい嘘をついた。その女子はああ、と納得した様子でうんと頷く。
「てっきり告白かと思ったよ。そういう意味でも邪魔しちゃってごめんね。」
彼女はそう俺達に陳謝すると駆けていってしまった。
「相変わらず口が上手いな。」
俺がそう褒めるとそうね、と返事をする。山田は特に気していないとそういう態度を取っているのだが、うっすら笑みを浮かべている。
「でも信じてくれないでしょうね。」
「あの説明で納得していないのか?」
「当たり前じゃない。この状況を見てハイそうですかとはならないわ。忘れているみたいだけど世間から見れば私は葛生葵なのよ。」
そりゃそうかもしれない。彼女にアタックする男子生徒は日々絶えない。
あの女子生徒からすれば葵は告白されているのを誤魔化した様に見えるんだな。
「山田と二人だったら勘違いされなさそうだけど。」
「それってどういう意味かしら?」
山田はそう言いながら眉間をピクッと動かす。
「笑顔も本家と比べてぎこちなかったし仕方ないか。でも直ぐにフォロー入れてくれてありがとうな。」
俺はすぐさま話題替えを行う。こういうところが彼女と上手くやれるコツなのだ。
「本当にもう、一言余計なのよ。まぁ、それなりかしら。」
山田は穏やかな表情をこちらに向ける。
「聞きたいことがあるんだがいいか?」
「なにかしら。」
「お前が芸能界引退を決断する理由が聞きたいんだが。」
葵も山田に聞けていないというものもありこの機会に真相を聞いてみたかった。
「そこまで聞いていたのね。」
躊躇いがあったようで山田の表情が強張っている。
「今まで葵のこと弱いと思ったけどそれは違ったの。あの子は化け物よ。」
「化け物は言い過ぎなのでは。」
「スケジュールとか凄いわよ。」
「そんなことないだろう。」
「午前二時寝、起床は六時。学校に行ってから仕事。それが毎日続く。」
俺はえぇ、としか声が出なかった。
睡眠時間四時間は疲れが取れないだろうな。本家葛生葵はそれでも学問とお仕事を両立してやっていたのは凄いと思う。
改めて別世界の人間が近くにいたのだなと思わされる。葛生はこういうことを一言も話してくれなかった。
「時々一週間に一回休みがくるときもあるんだけどその日は何もする気が起きなくてすぐ終わってしまうわ。」
極度に疲れるとやる気が出ないのはよく分かる。
「そのスケジュールだと身体も精神も壊しそうだよな。」
好きなことをやれないことで身体面は勿論精神面もストレスが溜まりそうだ。入れ替わる前は不自由なことなどない普通の高校生の山田香織には荷が重いことだと察せる。
「葵には悪いことをしたと思っているけど私にはあのスケジュールをこなすのは無理だわ。それに。」
「まだ理由があるのか?」
「一緒にやってるメンバーの性格が悪すぎる。」
山田は本当に嫌とそんな顔をして言い放った。
これも初耳だ。テレビでは仲良くやっているところしか見ていないからギャップ驚いた。
「まぁ、話したいことはこのくらいかしら。」
「お前もお前で苦労してきたんだな。」
俺がそう慰めると、彼女は心底疲れ切ったようにはぁ、とため息をつく。心中お察しする。
葵の顔でため息をつく様子は始めてみたが似合わないし勿論山田もしょっちゅうため息をつくような人間ではないのでこういうのを見るのは複雑だ。
「今すぐにでも元の身体に戻りたいわ。文芸部で貴方と話ていた方がマシよ。」
「そりゃあ俺と話すだけだし。」
俺と芸能界の色々とでは比較にならないだろうというツッコミはおいておいて、辛そうなのは目に見える。
「でももう辞められたじゃん。」
そう嗜めるとそうね、と彼女は消え入りそうな声でそうだけどと口をすぼめる。
「しかしまぁ、生きている世界があまりにも違いすぎるな。」
彼女はええ、と頷く。
「私に葛生葵は重すぎた。」
彼女の言葉には文字通り重みを感じる。飄々と生きている山田にここまで言わせるのはよっぽどだと思う。
「他人の人生をいきなり押し付けられたら誰だって辛いだろろうな。葛生葵も普段好き勝手やっていたお前にしんどいって思ってそうだけど。」
俺は冗談を交え山田を見ると山田はそれを聞いて手で口を隠して微笑む。
「そんなことないでしょ。私だって普通の高校生なのだから。」
「普通なのか?」
「いつもそうやって私を煽るところ全く変わっていないわね。そういうところが残念でもてないの。」
俺の煽りにそう返してきた。やはり山田はこうでなくては。
「貴方やけに嬉しそうよね。」
「まさか。可哀想だと思っているし。」
「本当かしら。じゃあどうして笑っているわけ?」
「別に、何でもないし。」
いつもどおりの彼女を見られて少し安心した。
葛生の演じる山田ではこういう会話にはならないから少し楽しみまで湧く。
「それじゃあ、俺は文芸部に戻るから。」
「ええ、さようなら。」
彼女は入れ替わる以前通りに俺と別れの挨拶を交わした。胸辺りでちっちゃく手を振って俺を見送る。
その光景がえらく懐かしい様に感じるのだ。
俺も彼女に小さく手を振りかえした。彼女は口元を隠してに微笑んでいる。
久しぶりに山田香織を感じつつ文芸部に戻った。
部活が終わり下校するとき、葵はにこりと笑いながら大きく手を振って別れの挨拶をしてくれた。
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