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そもそも服装がおかしい。あまつさえ、これから念願の殺人にいざ挑もうというのに、いつもの学生服で、しかもいつもの登校ついでにちょっと寄り道してといった感じのタイミングで、である。殺す相手は誰でもよかった、つまりは殺人さえ実際にできるならあとはどうでもよく、いつでもどこでもよかったということなのかもしれないが。すぐに犯行がバレても最初から犯行をごまかす気はさらさらなかったのだろう、たしかにことさら積極的に隠蔽したり偽装したりした形跡はまったくといってよいほどない。自分が逮捕されることをたいして恐れていなかった、というあらわれでもそれはあるのかもしれない。
とはいえ時も場所も対象人物も、とくにとくべつこだわりがなかったにしても、いくらなんでも最低限TPOは選ぶだろう。もう少し自分にとって好条件の人、物、場所、時間などなど選択肢の幅は広げられるわけなのだから、できるかぎり自由に利用し実行したほうがそれこそAの願望、いや妄想を叶えられ、殺人を存分にたのしめたはずである。かようにAの犯行はいろいろな点であまりに杜撰、あまりに不自然なのだ。
違和感の原因はここにある。つまり、犯行に余裕はなかったのではないか、ふと刑事はそうおもった。どう考えても、本人みずから主張し強調するいわば動機なき動機の「純粋殺人」といった犯行理由の、どこか掴みどころのない抽象的な手ごたえのなさとは異なり、犯行現場にはもっと生々しく雑多な印象、リアルでぐちゃぐちゃした感触があった。純粋というわりにはあまりに矛盾が多い、多すぎる。いうなれば不純でしかないのだ。
「君は──」
変わらず虚ろな表情でじっと、ずっとひとりくりかえし譫言をつぶやくAに向かって、おもむろに中年刑事は話しかける。
「君は、ほんとうは殺す気はなかったのだね。少なくとも、はじめのうちは」
Aの口が止まった。彼の挙動を注視しつつ刑事は、そのままかまわず言葉を継いだ。
「そんなつもりじゃなかった、人を殺すつもりなんかじゃ。あの母子のことはもちろん知らなかったし、あの日初めて出会ったにちがいない。あの家に行ったのも初めてなら、人を殺したいとおもったのも初めてだったのだろう」
心なしAに緊張が走ったように見えた。
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