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「ぴんくの~ふぶきに~さらわれてみたい~」
「そしてあなたにあいにいくの……」
創一は最後の歌詞を男に合わせ歌った。
男は楽しそうに歌ってはいたが、後半は息も途切れ途切れになり、足は縺れまともに踊れていなかった。スローテンポの曲ではあるが、素人が一曲踊りきるのは難しいだろう。
「ど、どうです……?はぁ……私の事、おせ、そうですか……?」
「あんたは推せないけど……」
「お、踊り損……!」
余程疲れていたのだろう、男はコンクリートの床へ腰を下ろし足を投げ出した。
「でも、死ぬのは止める」
「ほ、本当ですか……?!」
「うん、あんた見てたらさ……推しって簡単には忘れられないし、まだ気持ちの整理はつかないけど……何て言うかもう、推しって呼べる存在はいないけど……でも、オレ、アイドルが好きだって……一生懸命歌って踊っているあんた見てたら思い出したよ……」
「そう、ですか……」
男は夜空を見上げ、ふぅと長く息をはき出した。
「これでエンマ様に怒られずにすみます」
「エンマ様って怖いの?」
「そりゃ、あの世の番人ですからね」
「ふーん」
エンマ様の事も男の正体も気になるけれど、創一の関心はそこにはなかった。
不恰好でも、下手でも、完璧には程遠い男のステージだったけれど、それでも見る者を魅了する笑顔をしていた。その懸命に踊る姿は創一の心を動かしていた。
もう創一の心に絶望はなかった。
代わりに希望とも言える光が見えていた。
「オレ、お金持ちになれるんだよね?」
「はい、そうです」
男は膝に手を置き立ち上がった。見た目は20代後半から30代前半に見えるが、そんな仕草は随分と年寄りめいていた。
「オレさ……アイドルをプロデュースするよ……事務所を立ち上げる……って言うのかな……最初は勉強してからになるけど、将来的には生涯推せるアイドルを育ててみせるよ」
「素晴らしいですね」
「……頑張るよ、上手くいかなくても上手くいくまでやってみるよ……」
「応援しております」
「ありがとう」
そこで漸くある事に気付く。
「えーと……あんたは……」
そう言えば名前を聞いていない。
男は創一の言わんとする事を察したのか、にこりと微笑むと首を横に振った。
「私は使者です、呼んで頂ける名前はありません」
「……そっか」
「大浪創一さん、これから先の人生幸多きものであるよう、お祈りしております」
「……ありがとう……」
「今日はゆっくりお休みしてください」
「うん……じゃあ」
「えぇ、お元気で」
「うん……ありがとう……」
地階へ降りる階段は、屋上の側面に付いている。創一は階段へと向かった。
ふと、足を止め後を振り返る。
「……全部夢だったりして……」
屋上には創一以外誰もいなかった。
「さくら~さくぅ~」
ここへ来た時の重苦しい気持を忘れる位軽い足取りで、創一は夜空に向かい歌った。
完
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