1/1
前へ
/2ページ
次へ

ドアチャイムが何回鳴っても、彼女は出てくる気配がない。 どうしたのだろう。  ドアノブに手を伸ばし捻ると、ギイッ……と扉が開く。不用心だな。 「かや乃?」 僕はドクドク波打つ心音を感じながら、部屋の中に足を踏み入れた。 部屋の中は薄暗闇で、冬なのに暖房も付けず、ひんやりした空気が部屋中に漂っていた。 部屋の真ん中には、彼女がよく座っていたナチュラルブラウンの丸椅子がある。 そして、彼女の姿はない。かや乃はどこ? いつも二人でご飯を食べていた木目調のテーブル。その上に置かれた穴の空いた新聞紙。切り抜かれた一部が隣に置いてある。僕は近づいて確認をしてみる。何かの記事のようだ。 『◯月◯日、大野山で発見された遺体の身元は……』 ……えっ?! う、うそだろっ?! ギイッ…… 開いたドアから、ロープを持ったかや乃が入ってきた。何かをぶつぶつ言いながら。その顔は痩せこけ、生気を失っているかのように見える。 「かや乃!かや乃!」 僕は背後から名前を呼ぶ。でも、その声は届いていないみたいだ。 「たっちゃん……ごめんなさい……本当にごめんなさい……」 彼女の声は震えている。椅子の上に立ち上がった彼女は、天井のフックにロープを縛り付け、頭が通るぐらいの輪っかを作る。 「かや乃?」 僕は、テーブルに置かれた新聞の切り抜きと、彼女の背中を交互に見る。 「たっちゃん……まさかあなたが、あの丘から飛び降りるなんて知らなかった。あなたの話をちゃんと聞かなくて、ごめんなさい……顔見たくないだなんて言っちゃってごめんなさい!私はたっちゃんの全てが好きだったんだよ。あまり背が高くなくて、あまり顔もかっこよくないけど、それでも私をいつも大切にしてくれて。私を一番に考えてくれて、そんな優しいところも大好きだったよ……」 「かや乃……」 そこに置かれた切り抜き。そこには僕の顔が載っていた。その記事は、僕があの大野山から自殺した事が書いてあった。飛び降りた時の衝撃で顔が分からないぐらいグチャグチャだったらしく、身元がようやく分かったと書いてあった。 僕はあの日、あの満月の夜に自殺をしたのか? かや乃に振られて? あの時の自分は、確かに精神が不安定だった。 まさか、今の僕は…… 「たっちゃんがいないなら、生きてる意味なんてない。このまま後悔しながら生きていくなんで辛すぎるよ……私がそっちに逝ったら、許してくれる? 次こそはちゃんと話を聞くから、私にプロポーズしてくれる?」 彼女はロープに首を引っかけ、 足で丸椅子を蹴った。 「かや乃!!!!」 ぶら下がった体に手を伸ばす。 でも、すり抜けて触れる事はできない。 「かや乃、いやだ、いやだ、死なないでくれっ!!僕の顔見て!ほらっ、君の好きなあの俳優の顔だよ!!」 振動で揺れる華奢な体。肩まで伸びた亜麻色のくせ毛。白妙の肌。可愛らしい顔。 大きな瞳は閉じられていて、もう僕を映してはくれない。 ダラン、と垂れた左手の薬指には、七色の宝石がキラキラと煌めく。 あの日、僕が渡そうとしていた指輪だ。 遺体から見つけて、大切に付けていてくれていたんだね。 僕は、その手のひらを包み込むように握りしめる。もう、優しいぬくもりと柔らかな感触は感じない。 「ごめん、かや乃……あの日、思い立って自殺なんかしなければ良かった。顔が見たくない、そんな事を言われて、かや乃に嫌われて人生が終わったと思ったんだ。もう一度君にアタックしていれば、こんな事にはならなかったのに」 自分の顔を呪いながら、僕は死んだんだ。そして、顔がグチャグチャに潰れて、もう一度君に愛してもらおうと、その怨念だけで人の顔を食べた。そして、その顔が僕に移り変わって、やっと君の大好きな顔になったのに……。 『たっちゃんの全てが好きだった』 彼女の言葉が胸を震わせ、死人の瞳から透明な涙がぶわっと溢れ出した。 彼女はこんな自分の顔を愛してくれていたんだ。僕を見かけで判断せずに、ちゃんと中身を見つめてくれていたんだ。 蒼白く染まった頬に腕を伸ばす。 彼女は幸せそうに微笑んでいる。 僕の所に逝けて幸せなのだろうか。 「かや乃……愛しているよ」 自分の顔に手を伸ばすと、鼻などの凹凸はなく、肉のミンチみたいに柔らかい感触でグチョグチョしていた。手のひらに張り付く真っ赤な液体と、生々しい血管、生々しい肉片たち。 顔が元に戻っている。 これじゃ、かや乃に僕を見つけてもらえない。 「かや乃……待っていて」 僕は彼女の部屋を飛び出すと、美しい月夜の下、夜の街に繰り出す。 自分の顔を探すために彷徨いつづける。 「かや乃、愛してる」  ごくん。 〝Now Loading…〟 「かや乃、愛してる」  ごくん。 〝Now Loading…〟 「かや乃、愛してる」  ごくん。 〝Now Loading…〟 「かや乃、愛してる」  ごくん。 〝Now Loading…〟 〝Now Loading…〟  〝Now Loading…〟 〝Now Loading…〟 〝Now Loading…〟 〝Now Loading…〟 〝Now Loading……………… ぐちょ ぐちゃ ばきばき ……………… ごっくん。 【完】
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加