1.恋と愛と欲望

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1.恋と愛と欲望

恋愛に段階があるとして……、 いや、キスがAで、そのあとB、C、と続いて、最後がDというヤツじゃなくて、もっとそれ以前の、ほら、これは「恋」かな、「愛」かなって悩む段階があるじゃん? オレ、「恋する」段階は超えたと思うんだ。 そう言ったら、キミは「えっ」と、童女のように首をかしげたよね。 眉毛のあたりできれいに切りそろえられた前髪が傾いて、その仕草があまりにも幼くかわいいものだから、独占したい思いが急激に強まった。そう、この独占欲は「恋」には似合わない。「愛」なのだ。「愛」は独占欲を正当化する。 「恋」には距離があると思わないかい? ちょっとやそっとじゃ手の届きそうもない距離。 具体的に何メートルぐらいかと問われると詰まってしまう。 それはきっと、僕の教室からキミの教室までの10メートル足らずかも知れない。あるいはキミの肩に手をかけたくて、キミの髪の毛に触れたくて、キミの背中に透けてる下着のラインを指でたどってみたくて悶え苦しむ時間を、海辺の鈍行列車で行ったぐらいの距離かもしれない。 僕らはその距離を走りぬいた。キミにはそんな実感ない? そろそろ「愛」に移行しようよ。 水平線の向こうに昇ってきたばかりの太陽。 砂のシンデレラ城が波に洗われ崩れ落ちる様子を見て子どものように騒いだ。 すっかり滑らかになってしまった砂の堆積を見て、僕らは海水に冷えたからだを寄せ合った。 僕らのドラマは始まったばかりなのに、なぜか悲しくなり、彼女の横顔を見つめる。悲しみの理由をその時の僕は知っていた。なのに知らないふりをした。でも、思い知らされるときはやはりやって来た。それを知らないふりをできたぶん、僕らは長続きするだろう。 日に焼けた僕の腕とキミの真っ白な腕が触れ合っている。潮水に濡れているからネチャネチャしてなんかいやらしい感じだ。 ほら、僕の指。キミの頬を触っているよ。 キミの鼻筋を辿(たど)っているよ。 気づいてよ。お願いだから……。 こんなにも縮まった距離で僕らにできることは「愛」しかないと思う。「愛」には距離がない。ただ深まりがあるのみ。 「愛」って──一種の矛盾のようなものだと僕は思う。 そう言うとキミは唇をアヒルの(くちばし)のように尖らせ、また首をかしげる。 ゴールなんてものはあるのかな?  結婚? いや、そうではないと思う。結婚してしまったら、愛は変質してしまう。そんな予感が僕にはある。 愛には目的もゴールもないんだ。 いくつもの欲望が絡み合い、求めあい、(はじ)きあい、時には否定し合う。その過程自体が愛じゃないだろうか。 シュワー……。 大きな波が浜辺に急速に(すそ)を広げてくる。急いで立ち上がろうとしたが、ほんのわずかな遅れで、僕もキミもパンツまで濡れてしまった。 その時僕のからだの中で動き出した欲望――。 濡れたキミのからだを――大きなビーチタオルで温かく何重にも包んで抱きしめてやりたいという欲望。 濡れたキミのからだを――抱き上げ、誰にも見えない岩陰ですべてを剥ぎ取って(むさぼ)り尽くしたいという欲望。 濡れたキミのからだの――そう、キミが大切に守って来た秘密の部屋に侵入し隙間なくひとつになりたいという欲望。 そういった、普段は身体の奥底に(うごめ)き、理性により抑制されているものが、予期せぬ波のいたずらで僕の意識に上って来た。
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