3.おともだち

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3.おともだち

憲太郎君と離ればなれになってもでいたいの。 桜の花がほころびかけた三月末のある日、僕は春香を浜辺に呼び出した。「キミを抱きたい」と言う前に、(てい)よくあしらわれた格好だ。 山の上を旋回していたトンビがピーヒョロヒョロと鳴いた。下等動物にもバカにされている。 おともだち――。 春香らしいとても賢明な言葉だと思った。就職を目前に控え、男から交際を迫られたらこう答えるようにと、両親から仕込まれたのかもしれない。 おともだちか――。 腕組みをして考える。 僕と向いの総菜屋の息子の田中君とも「ともだち」だし、定期試験のたびに競い合う安本君とも「ともだち」だ。彼女がテニス部で仲良くしている高田さんと二宮さんも彼女の「おともだち」だし、ピアノ教室で知り合ったというエッちゃんも私の「おともだち」よ、と言って紹介されたのを覚えている。 ONE OF THEM ―― そんな英語が脳裏に浮かんで来た。 浜辺で寝っ転がってキスをした僕が、高田さん、二宮さん、エッちゃんと同格ってことか。僕にとっての春香は、田中君や安本君よりずっとに上なのに。ずっと大切なのに。 怒りはなかった。だがコンクリートの防波堤に肩を寄せ合って座る彼女のからだからじんじんと伝わる体温に蒸され、徐々にではあるが体温の高まりを感じていた僕は、いきなり海水をぶっかけられたような気がしただけだ。 キミの「おともだち」以上になりたいんだ。 海岸沿いの歩道を歩く人々の視線が気になりだしたから、僕らは防波堤から砂浜に飛び降り、波打ち際を散歩していた。続けて言う。 キミは就職していろいろな男性と会うよね。――オレ、それがとても不安なんだ。オレたちキスもしたし、こうして二人きりで会っているんだから、気持ちがずっと続いているってことだよな? オレたちつきあっているんだよな? 彼女は蜂蜜色の瞳を僕に注ぎ、うん、と頷いた。恥ずかしさを隠そうするとき彼女はいつも唇を尖らせる。上くちびるが一層めくれ上がって、ますますかわいい。体温と心拍数の急激な上昇に耐えられず、僕は一気に王手をかける。 キミを抱きたい。 彼女の足が止まる。波の音がやけに耳道に反響する。視線を合わせることができず、彼女の真っ白いスニーカーに視線を落とす。僕のより一回り小さい頼りなげに見えるそれに。そこから上に向かって伸びる二本の細い脚はまだ少年っぽさを残している。セクシーというより健康的だ。僕は彼女の健康美を(けが)そうとしているのだろうか。 彼女の腕が絡みついてきた。胸のふくらみが僕の二の腕に当たっている。ドキッとした。こんなに接近したのはファーストキスのとき以来だ。僕は水平線を眺めるふりをしてからだをこころもち向こうに向ける。さり気なくジーンズのポケットに手を突っ込み、違和感を除去する。 男の子って大変だよね。女の子を好きになると体が反応しちゃうんだもんね。 彼女は僕の違和感の源にしっかり視線を注ぎながら言った。僕は顔から火を噴き出しそうに恥ずかしかった。母親にも見られたことのない生理現象を大好きな春香に至近距離から見られてしまったのだから。彼女自身は恥ずかしがるそぶりを全く見せなかった。 こんなに(みなぎ)っている憲太郎を一人東京に送り出すのはあまりにもかわいそうだもんね。 春香は、いい子いい子、と僕の頭を撫で約束してくれた。 その日の夕刻、僕は部活の同級生の家に一泊して来ると言って家を出た。 彼女の方は、僕らの守護天使ともいうべき高田さんが力を貸してくれた。春香の家に遊びに行き夕飯までご馳走になった高田さんが春香を家に招待し、一泊するという形にしたのだ。
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