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第一話 かけぬける
ユイラ皇国随一の美観を誇る星の湖をめぐる旅から、ひさしぶりに帰ってきた。
美しい景色はたくさん堪能したけれど、船旅では味わえない楽しみが、皇都にはある。
——というわけで、今日はジョスリーヌとともに競馬場へやってきたワレスだ。
競馬は皇都でも毎日楽しめるわけではない娯楽だ。開催日が決まっている。月に二回ていど、二十日に一度しか催されない。
「ワレスはどの馬がいい?」
「一番人気はラ・カールだろう?」
「あの馬はダメね」
「どうして?」
「なんとなくよ。精細がない」
競技の前に会場をぐるりと一周する馬たちを見分して、客は好きな馬に賭けるのだが、ジョスリーヌの予想はいつでも百発百中だ。
その勘のするどさに、ワレスは舌をまく。いつか、自分の洞察力でジョスリーヌの勘を凌駕したいと思っているのだが、なかなか、これがうまくいかない。
ワレスが競馬をたしなむのは、むしろ、このためだ。推理力が直感に勝るかどうかを確認しにきている。
「じゃあ、ジョスはどれにする?」
「そうね。三番のアルスターかしら。黒毛のキレイな馬」
「おれは六番のジョイフルヌーン」
「わたくしが勝ったら、明日もつきあいなさい」
「いいよ。おれが勝ったら?」
「馬をプレゼントするわ」
「いらないよ」
「どうして?」
「世話が大変だからだ。そんなのわかりきってるだろ。必要なときは、あんたの屋敷から勝手に持ちだせばいい」
ワレスが六番を選んだのは、騎手がちまたでウワサのリリアンだからだ。まだ十五の少女騎手である。
その年からは考えられないほど馬のあつかいにたけていて、天才と称されている。競馬は馬の実力もさることながら、騎手の技量によるところも大きい。
ところがだ。
いざ競技開始の時刻になると、思いもよらない事態となった。何やら係員たちが走りまわっていると思えば、時間になっても馬たちが現れない。
「何かあったみたいだな」
「そうね」
気になったので、ワレスは立ちあがり、客席を離れて歩きだす。
「ワレス。どこへ行くの?」
「すぐ戻ってくるよ」
ジョスリーヌには侍女や騎士もついているから、ワレスがいなくても大丈夫。そもそも競馬は金持ちの貴族のための遊びだ。客席にいるのは、ジョスリーヌと似たような富豪ばかりだ。警備のための衛兵も立っている。
ワレスはその衛兵にたずねてみた。
「さわがしいが、何かあったのか?」
「いや、別に」
と言うが、正直な兵士だ。
目が泳いでいる。
やはり、何かあったらしい。
ワレスは観客席をおりていった。すると、競馬場に付属する厩舎で、ひどく人の出入りが激しい。
本来なら関係者しか入れないが、ワレスが近づいても止める者がいない。それどころではないようだ。
なかをのぞくと、競走馬が倒れていた。ジョスリーヌが推していた三番の黒毛だ。さっきまで、あんなに元気だったのに、あわをふいてケイレンしている。どう見ても異常だ。
馬丁や騎手がけんめいに看病している。競走馬は大金を動かす金づるだから、専任の獣医もついているようだ。
急病だろうか?
しかし、見た感じ、骨折などしているようではない。
ワレスはそのまま、となりの厩舎ものぞいた。異様ではあるが、とつぜん不調になった馬が一頭だけなら、その馬を棄権させて、レースじたいは開始させるのが通常である。そうならないのには、もっと深刻なわけがあるのだろう。
案の定、となりの厩舎もまったく同様の事態でてんやわんやだ。
見てまわると、本日、出場予定の十六頭のうち、約半数の馬が不調だ。経過の度合いは違うが、これではレースにならない。
ワレスが選んだジョイフルヌーンも、泡をふくほどではないまでも、グッタリして汗をかいている。
いっせいにこうなるということは伝染病、あるいは毒——だ。
「ジョイ! しっかり。しっかりしてよ!」
泣きながら、リリアンが馬にしがみついている。医者が何か言って、彼女を離れさせた。
ワレスは厩舎のなかへ入り、天才美少女騎手に声をかけてみた。
「その馬は病気なのか?」
顔をあげ、ワレスをにらんだリリアンの瞳は印象的な菫色だった。黒髪黒い目のユイラ人にはめずらしい。
「ジョイはさっきまで元気だったんだ! 誰かに毒を盛られたんだよ」
そばにいる獣医もうなずいた。さっき、黒毛を診ていた男だ。
「ヒ素だ。少量だが、まちがいない」
まあ、そうだろう。
そうなると、犯人がいる。誰かが故意に馬たちを殺そうとした。
競走馬をつぶして得をするのは誰だろうか?
このまま人気の馬が何頭も死んだら、これからの皇都での楽しみが一つ減ってしまう。
なんとかできないものだろうか?
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