第二話 苦くて甘い毒

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「ジェルマン? 何か知っていることでも?」  すると、ジェルマンはあわてたようすで首をふった。 「いや、知らない。なんでもない——って、おまえはジョスリーヌのじゃないか。いつぞやは、よくもおれの奇術のジャマをしてくれたな」 「素人に種を見やぶられるなんて、手妻師として未熟なんだよ」  ジェルマンは言い返せない。  しかし、この男なら他人のグラスのなかに、人知れず毒を混入することはできるだろう。 (どいつもこいつも怪しいな)  嘆息しながら、最初の質問に返る。 「あの女の子が誰か知らないか?」 「ああ、あれは、カヴァリエ侯爵の一人娘だ。ダンスが得意でね。今日は踊り子たちと舞踊を見せてくれる予定だった。こうなってはもう、それどころじゃないだろうが」  娘がいるとは思わなかった。  それなら、どうして侯爵夫人は、自分の娘ではなく甥っ子を可愛がるのだろう? 不自然だ。一人娘なら、なおのこと愛しいものだろうに。 「可愛い子だよなぁ。妖精みたいだ。でも、夫人にしてみれば、おもしろくないだろうなぁ」 「何が?」 「知らないのか?」 「この屋敷に来るのは初めてだから」 「あの子、奥方の生んだ娘じゃないらしいんだよな。侯爵は女遊びが派手だろ? そのなかの誰かがほんとの母親だとか」 「なるほどな」  となると、もしかしたら、狙われたのはセシルではなく、侯爵の一人娘だろうか?  それならば、わかる。犯人はシャンタルだ。愛人の生んだ血のつながらない娘が憎いので、殺そうとした?  いや、しかし、毒入りのグラスはコンソールテーブルに置かれていた。あのまわりに令嬢がいたふしはない。ダンサーたちの舞台衣装は白一色だが、令嬢の着衣だけはピンクが主体だ。  ワレスに比較的近い位置だったから、ピンクが一人まじっていれば、いやでも目についた。あれが主役か、くらいは考えたはずだ。  令嬢が一度もあのグラスを手にしていないのならば、狙われていたとは言いがたい。  アメリーがとりあげる前、あそこにグラスを置いたのが誰なのか、そこがキーポイントだ。 (誰か見たやつはいないかな?)  そういう目で見ていると、ソワソワしている男がいる。二枚目俳優のグランソワーズだ。さっきからずっと、倒れた少女と、そのかたわらに落ちるグラスを交互にながめている。  ワレスは彼にかけよった。 「グランソワーズ」  腕をつかむと、ふりかえったグランソワーズが微笑する。 「おおっ、ひさしぶり。君のおかげで、ロレーナと結婚——」 「おめでとう。それより、さっきから、やけにグラスを見ているが、もしや心あたりでも?」  二枚目俳優はキレイにウェーブした前髪を耳にかけながら答える。 「じつは、あのグラス。私があそこに置いたものじゃないかと思って。ほかのグラスはみんな銀細工なのに、それだけ金だろう?」  そう。ほかにくらべて少し小ぶりだが、あの色は本物の黄金だ。特別な人の飲み物が入っていたと思われる。 「あんたが、あそこに置いたのか?」  さっきのコンソールテーブルを指さす。グランソワーズはうなずいた。 「でも、あれは毒入りだ。誰かに飲ませようとしてたわけじゃないんだろう?」  もうすぐ愛する人と結婚する人気俳優が、人殺しに手を染めるとは思えない。毒なんて、幸福な人間には無用の長物だ。 「あれは、サヴリナから受けとったんだ。私の結婚の祝いに乾杯しようと言われて」 「サヴリナって?」 「あの子だよ。この前までその他大勢の端役だったんだが、最近、頭角を現してね。まだロレーナの妹役だが、そのうちヒロインをやれると思うね」  グランソワーズの示したのは、中庭へ続くガラス扉の近くでふるえている女だ。年齢は二十歳くらい。たしかに顔立ちは可愛い。しかし、今にも倒れそうなほど蒼白になっている。 「彼女から受けとったのに、飲まずにテーブルに置いたのか?」 「ほかの人に声をかけられて、乾杯ができなかった。すぐに話を終わらせようと思ってるうちに、ダンサーが倒れて……」  それなら、グラスに毒を入れたのは、サヴリナだということになる。ターゲットはグランソワーズだ。 「ちなみに、サヴリナとの仲は良好なのか?」 「良好だと思うがなぁ。見込みのある女優だから、たまに稽古(けいこ)につきあってやったりしてる。ふつうより仲のいいほうと言えるね」 「わかった」  ワレスはグランソワーズのもとを離れ、サヴリナに歩みよった。 「やあ、初めまして」  ジゴロの笑みを見せて近づいたのだが、すでにサヴリナは涙ぐんでいる。うしろめたいからだろう。ワレスがなんの話をしに来たのか、身におぼえがあるわけだ。  優しい笑みをたやさず、ワレスはサヴリナの耳元にささやく。 「なんで、グランソワーズを殺そうとしたんだ?」 「ごめんなさい。だって、悔しくて。ロレーナはズルイわ。わたしが欲しいものをみんな持ってる。グランソワーズだけは、わたしのものだと思ってたのに」  つまり、やっかみか。  売れっ子のロレーナに、女優としても女としても差をつけられることが(ねた)ましかった。さらに言えば、グランソワーズにひそかな恋心をいだいていたのだろう。ほかの女のものになるくらいなら、いっそ……というわけだ。 「ほんとにグランソワーズを殺したいのか?」  サヴリナは首をふった。じっさいに人が死んだところを見て恐ろしくなったようだ。 「悔しさは演技のバネになる。ロレーナを見返してやりたいなら、舞台上で勝負すればいい。それにしても、人が死んでいる。罪のない少女が」  さすがに、これは見すごすわけにはいかない。サヴリナは役人に引き渡すしかないだろう。それにしても、ワレスには疑問があった。 「あの毒をどこで手に入れた? 若い女が容易に毒なんて入手できないだろう?」  サヴリナは泣きながら告白する。 「わたしだって、最初から殺すつもりなんかじゃ……でもパーティーに来て、毒の話をしてる人たちがいたから、つい、あのグラスを奪えば……そう思って」 「誰かがグラスに毒を入れているところを見たのか?」  サヴリナはうなずいた。  ウソをついているようではない。 「それは誰だった?」  ワレスの問いに、サヴリナは従順に答える。
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