第二話 苦くて甘い毒

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 いったい、この毒杯は何人のあいだをめぐりめぐったのか。まったくもって数奇な運命を持つ杯だ。  庭側から出入口に近いテーブルまで戻ってくる。給仕係は今にも逃げだしそうな素振りを見せた。ワレスは走って、彼の肩をつかまえる。 「待った。やっぱり、毒を盛ったのはあんたらしいじゃないか」 「し、知らない」 「でも、あの金細工のゴブレットに特別な飲み物を入れるよう頼まれたんだろう? 聞いていた者がいるんだ」 「それは……」 「あんた、しくじったな。大事な杯をほかの人にとられるなんて」  ワレスは給仕が誰の頼みでそんなことをしたのか聞きだすつもりだった。だが、ろうかへ出て壁ぎわに追いつめると、給仕係はいやに赤くなった。そう言えば、さっきも紅潮していた。それで、気づいた。 「あんた、もしかして、男が好きなのか」  しどろもどろになって、上目遣いにワレスを見る。間違いなく、ワレスに迫られたときの男色家の目つきだ。  ということは、彼にこんなことをさせることができたのは、一人しかいない。  その人を詰問するために歩きだそうとしたときだ。広間に入った瞬間、わあっと歓声があがった。パチパチと拍手している者までいる。  何事かと見れば、死んだはずの少女が目をさましている。  そんなはずはない。  ワレスはたしかに胸にさわって、心臓が止まっていることを確認した。  感動したようすでやってきて、ジョスリーヌがワレスの腕をとる。 「素晴らしい典医ね。死人を復活させてしまうなんて。奇跡だわ。あなたが最初に処置していたせいかしら?」 「ああ……」  なんだろうか?  今のジョスリーヌの言葉のどこかが、耳の内で小さなトゲになった。すんなり聞き流すことをゆるさない何かがあった。 「復活……」 「そうよ。まるで手妻だわ」 「そういうことか!」 「あら、ビックリ」 「わかったぞ。ジョス。お願いがある」 「ええ。何?」 「カヴァリエ家の全員と内密で話したい」 「いいわよ。ちょっと待ってね」  数分後。  ジョスリーヌのはからいで、一同は客間の一室に移動した。宴客に聞かれては困る話だからだ。 「ジョスったら、あいかわらず強引ね。秘密の話がしたいだなんて、どうかしたの?」と、シャンタルがたずねてくる。  答えるのは、もちろん、ワレスだ。 「話があるのはジョスリーヌではありません。今夜のさわぎの真相を、みなさんの前で解こうと思い、集まってもらいました」  侯爵家の人々は気まずそうなおもてで、たがいをうかがいあっている。 「この事件の根本には、あなたがた家族の複雑な事情がある。令嬢と令息もご存じなので、遠慮なく暴露(ばくろ)すると、令嬢は侯爵の娘ではあるものの、侯爵夫人のお子ではない。また、表向きは甥と言っているが、セドリックは夫人の生んだ息子だ。そうなんでしょう? 学生時代に大恋愛をしたときにさずかった。今でも相手のかたとつきあいがあるかどうかまではわかりませんが」  四人ぶんの沈黙が場をはりつめさせる。だが、ジョスリーヌの表情を見れば、ワレスの推理が間違っていないことを告げている。だから、ワレスがくどいても、シャンタルがなびかないと確信していたわけだ。 「そして、子どもたちはそのことを承知している。つまり、自分たち兄妹に、じつはまったく血のつながりがないことを。兄妹ではなく、赤の他人なのだと」  誰も答えない。  異様な静寂のなか、ワレスの声だけが響く。 「このゆがんだ家族関係のなか、侯爵夫妻はそれぞれの子どもを溺愛している。今夜、侯爵は一人娘のために舞踊のステージを用意していた。そのさい、手妻師のジェルマンと相談して、復活魔術をとりいれる予定だった。そのことを夫人も知っていた。そうですね?」  これには、侯爵がうなずいた。 「余興にな。ジェルマンが絶対に大丈夫だと言うから」 「それは彼の言うとおりです。じっさい、あやまって用意のを飲んだ少女は、仮死状態になったあと復活した。あれは厳密には毒ではなく、人を一時的に仮死にする薬だ。ジェルマンはそれを利用して、復活魔術と称していたのです。だが、彼はダンサーが倒れたとき、それを告げると自身の魔術の種が衆人にバレるから、何も知らないふりをした。彼だけは、いずれ少女が目をさますことを知っていた。ただし、倒れるのは令嬢のはずだと思っていたから、うろたえていたんだ」  侯爵は肩をすくめる。 「ジェルマンの手違いなのだろう? それだけのことだ」 「侯爵。あなたは自由を愛する人ではあるが、無頓着すぎる。とくに人の心に。いくら政略結婚とは言え、正妻の前であんなふうに若い女たちとたわむれるのは、いかがなものか。そんなだから、夫人はあなたや、あなたの娘に憎しみを感じるようになった。あるいは令嬢ではなく、自身の息子に爵位を継がせたいと考えた」  シャンタルは今にも失神しそうなようすだ。 「侯爵夫人。だからといって、令嬢を亡きものにするのはやりすぎですよ。あなたは手妻師の毒を本物にすりかえる計画を練った。復活の魔術が失敗して、令嬢はそのまま息をふきかえさなかったことにしてしまえばと」  わッと泣きだすシャンタルを見て、侯爵が憤慨する。 「なんということだ! ゆるせん」 「あなただって、セドリックを遠くの親戚へ養子に出すつもりだったじゃありませんか! わたしから引き離そうとして!」  侯爵は黙りこんだ。事実だったのだろう。セドリックがいると、財産分与がややこしくなる。侯爵にしても、セドリックはジャマな存在だったのだ。  ワレスは夫婦のあいだに割って入った。 「どっちもどっちです。お二人とも反省したほうがいい。とは言え、令嬢には何事もなかった。なぜだと思います?」 「…………」 「…………」  不思議そうな二人に、ワレスは説明する。 「母の恐ろしい計画を知って、セドリックが阻止したからです。彼は給仕係に頼んで、侯爵夫人が毒を入れる杯と同じものをもう一脚、用意させた。そして、すきを見てすりかえた。つまり、手妻用の杯と毒杯が夫人の手でとりかえられ、さらにそれをふたたび、子息が入れかえた。おそらく、毒杯の中身はすてられ、無害なものが令嬢に渡された。最後に復活の薬だけが残った。それがどうして、ダンサーの手に渡ったかは、また別の事情がからんでいるわけですが」  セドリックがため息をつく。 「なぜ、わかったのですか?」 「年ごろの少年少女が、血のつながりがないと知っていて一つ屋根の下で暮らしていれば、そこに愛が生まれるのは必然だからです」  セドリックはうなずいて、令嬢の手をにぎった。 「僕たちは愛しあっています」 「お父さま、お母さま。もう憎みあわないで。お願い」  二人に涙ながらに訴えられて、侯爵夫妻はため息をつく。ワレスも援護した。 「いっそ、お二人が結婚なさればいいじゃありませんか? 表向きはイトコなわけだし、財産も共有できる。いがみあう理由はなくなる」  ずいぶん長いこと見つめあったのち、侯爵と夫人は譲歩した。 「まあ、よいでしょう」 「息子がそれで幸せなら」  それが最善の解決策だ。  *  帰りの馬車のなか。 「役人を呼ばずにすんで、一件落着だな」 「そうね。でも、なんだか、かわいそうね。シャンタル。いいかげん、昔の恋なんて忘れたらいいのに」 「じゃあ、おれが彼女の愛を復活させてみようか?」 「もう、ワレスったら!」  かるくにらんでくるジョスリーヌを見て、ワレスは笑った。  了
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